◇「七草粥」は古代中国の「七種菜羹」から◇
日本では正月の1月7日に「七草粥」を食べる風習がある。セリ(芹=セリ科)、ナズナ(薺=アブラナ科、ペンペングサの別称)、スズナ(菘=同、カブの別称)スズシロ(蘿蔔=同、ダイコンの別称)、ゴギョウ(御形=キク科)、ホトケノザ(仏の座=同、タピラコの別称)、ハコベラ(繁縷=ナデシコ科、ハコベの別称)のいわゆる「春の七草」と言われる7種類の若菜を刻んでお粥の中に入れて食べる。
この風習はもともと古代中国で、1月7日の「人日(じんじつ)」に食べていた「七種菜羹(ななしゅのさいかん)」の風習が奈良時代(710年~794年)、日本に伝わったものとされている。「七種菜羹」は、中国湖南省、湖北省を中心とした六朝時代(222年~589年)の風習を記した「荆楚(けいそ)歳時記」に掲載されている。元日から6日までを日ごとに「鶏、犬、豚、羊、牛、馬」を占い、7日は人を占ったので「人日」とされ、8日は穀物を占った。「人日」に「七種菜羹」を食べ邪気を払い、1年の無病息災を祈った。
このころの7種類は、米(こめ)、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)、蓑(みの)、胡麻(ごま)、小豆(あずき)の穀類のお粥であった。この7種粥が平安時代(794年~1185年)に行われていた「若菜摘み」の風習とも重なり、室町時代(1336年~1573年)には、現在のような「七草粥」となったようだ。当時の人たちは、若菜には生命を維持し旺盛にさせる何かがあることを知っていたのだろう。現在では由来や意味も分からないまま、その風習が1000年近くも続けられている。1月15日(小正月)に小豆粥を食べる習慣は「七種菜羹」の小豆だけが残ったのだろう。
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