◇南京からお詫びの手紙郵送◇
その後、2001年に定年退職するまで4回転勤した。その間、単身赴任で自炊をする時、鍋の底に煤が出来る時もあった。その都度、芋煮会の鍋の煤を思い出し、反省していた。
南京大学に赴任して、専家楼宿舎でも鍋の底に煤が付くことがあり、その度に嘆息した。30年間以上も前のことであったが、思い切って「30数年前の煤けたお詫び」として、当時の失策を詫びて要旨次のような手紙を書き、お茶を添えて南京から山形県の県庁レストランに郵送した。
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≪山形県庁食堂で働く職員のみなさん。30数年前の私の失策をお詫びします。
私は、34年前の1973年春から1979年8月まで6年間、毎日新聞山形支局の記者として県政記者クラブに所属していました
当時は、日本の高度経済成長期も転換期を迎え、物の豊かさより心の豊かさへと価値観が変化し始めたころでもありました。私たちの支局員は、山形の風俗、習慣を体験しようと、ある年の秋に「芋煮会」を計画し、材料を買い込んで馬見ケ崎川原で実行しました。その際、私は県庁の食堂から大きな鍋を借用しました。「芋煮会」の後、鍋を県庁の食堂にお礼をそえて返したのですが、鍋の底についた煤をそのままにして返却しました。私は食堂に鍋を返したあと、食堂の職員の人が煤けた鍋の底を丁寧に洗っているのをみて、大変申し訳ないことをしたと思いました。本来は底の煤もきれいに落としてから返すべきところなのですが、そこまで気付かず、その後ずっと気になっていました。
南京滞在も6年間が過ぎました。日本国内同様、単身赴任の生活で、時おり、煤けた鍋を洗うことがあります。この煤は洗剤を使ってもなかなか取れません。その度に、30年ほど前、県庁食堂の鍋の煤の失策を思い出し悔悟していました。今となってはお詫びのしようもありませんが、少しばかりですが、先日、当地から中国のプーアール茶を郵送しました。
当時の職員の方々はほとんどが退職されていることと思い、お詫びの気持ちを伝える術がありません。みなさんでご賞味していただければ、私の想いが少しは当時の人たちに伝わるのではないかと思った次第です。≫
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