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北京週報>>特集>>斎藤文男氏のブログ  
◇まほらまの南京生活⑲◇~30数年前の失策お詫び紀行~

 

◇鉄の鍋底に付いた煤の失策◇

わだかまっていたトゲは、大きな鉄の鍋底に付いた煤だった。1970年代の後半、毎日新聞の山形支局時代、県庁記者クラブに所属し県政を担当していた。毎年秋になると、市内を流れる馬見ケ崎川の川原で行われる「芋煮会」がこの地方の風物詩になっていた。里芋、コンニャク、牛肉を煮て、醤油で味付けし、ネギを加えたものだ。シンプルな食材の味が相互に絡み合って、いかにも東北地方の純朴な味で美味しかった。山形特産の紅花(べにばな)を都に運ぶ船乗りや商人を慰労するため、江戸時代から始まったと言われ、明治時代以降、一般にも広まった。

大きな鍋を借りたレストランが一階にある山形県庁舎 

私が山形支局にいたころも、家族や友人仲間が馬見ケ崎川原で、それぞれがかまどを作り「芋煮会」を楽しんでいた。支局同人は支局長以下10人ほどだが、いずれも県外からの他県人だった。勤務地の風物詩を楽しもうと我々も芋煮会をやることになった。

 支局員やその家族を含め、総勢30人余りが集まった。県庁食堂から大きな鉄の鍋を借りて、川原にかまどを作り、薪を燃料にワイワイ言いながら、地元の風物詩を体験した。野外のかまどで薪を燃やし、大きな鍋に牛肉や里芋、コンニャクを入れて食べるのは、レストランなど室内でのものとは違って格別の味だった。普段は料理などしたことのない入社間もない男性陣も、材料を包丁で切ったり、コンニャクを手でちぎって入れたり、料理をする楽しさを十分に味わった。仲間のコミュニケーションも一層深まり、支局同人の結束も固まった。

鍋は洗ってお礼を添えて返却した。しかし、鍋の底には薪を燃やした煤がいっぱい付いたままだった。県庁レストランの男性職員がこの煤を洗っているところを、私は帰りがけに目撃した。鍋の中は洗ったのだが、底に付いた煤まで洗うことに気が付かなかった。借りる時は確かに底に煤は付いていなかったことをその時思い出して、申し訳ないことをしたと思った。以来、この時の失策がずっと気になっていた。

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