斎藤文男(南京大学日本語学部専家)
日本で35年間、新聞記者をしていたが、自慢できる手柄話はほとんどない。失敗したことは数知れない。なかでも山形支局時代の失策は心の片隅にいつまでも消えずにいた。新聞社を定年退職後もそれは事あるごとに思い出され、悔後の念となっていた。今年の夏休みに一時帰国し、かつての勤務地の山形市を訪れ、迷惑をかけた関係者に会いお詫びの気持ちを伝えた。30数年来、心のひだに刺さっていた細いトゲがようやく抜け、やっとすっきりした。
秋になると広い川原も「芋煮会」をする人たちでいっぱいになる(山形市の馬見ケ崎川原)
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