◇別離の後の新たな出会いに期待◇
卒業論文を審査する答弁会で、私が担当した学生は、テーマを決めた動機や論文の内容、結論などよどみない日本語ですらすらと話していた。しかし、終わってからは「あの時は何を話したか、はっきり覚えていないほど緊張しました。」と打ち明け、ほっとしていた。
卒論の答弁会後に行われた「謝恩会」では、全員が笑顔で記念写真(前列右端が筆者)
彼女の論文は、答弁会のグループ内では最高点だった。指導教師は担当した学生の採点に参加できなかったが、学生の苦労が報われ、私も嬉しかった。
答弁会当日の夜は、恒例で学生主催の「謝恩会」が開催された。学生にとって、この答弁会は4年間の学生生活最後の授業である。それが終わって気が楽になったのか、アルコールも入り賑やかな宴になった。
多くの学生から「先生、長い間大変お世話になりました。」などと言われて乾杯をすると、「“さよなら”だけが人生だ」の言葉が胸にいっそう沁みてくる。
于武陵(晩唐)の「勧酒」後半の2句「花発多風雨 人生足別離」を作家の井伏鱒二(1898年~1993年)は次のように訳した。
「花に嵐のたとえもあるぞ “さよなら”だけが人生だ」。
「さよなら」の前には必ず「出会い」がある。学生との別離の寂しさは、学生の将来の希望に置き換え、あらたな出会いに期待することにした。
(写真はすべて筆者撮影)
「北京週報日本語版」2012年7月13日
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