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釣魚島問題における日本側の嘘への反論(一)
  ·   2016-05-03
タグ: 釣魚島;中日関係;政治
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近年、日本政府は釣魚島(日本名・尖閣諸島)の主権の帰属をめぐる認識において中日間に争いがあることを否認する一方で、釣魚島問題における宣伝を強化し続けている。日本は先日、内閣官房のウェブサイトに資料画像を公開し、釣魚島は日本「固有の領土」だと妄言を吐いた。日本側のぶち上げたいわゆる証拠は、史実に著しく反しているか、中国側の立場を歪曲しているかであり、全くもって自他共に欺くものだ。中日関係に対する悪影響を排除し、中日両国民の友好的感情を強化するために、日本側の誤った見解に反論し、これを正す必要がある。(文:劉江永・清華大学国際関係研究院教授)

(1)甲午戦争前に日本政府は釣魚島が中国に属することを認めていた

日本政府は釣魚島及びその附属島嶼(日本名・尖閣諸島)がかつてはいわゆる「無主の地」であり、1885年に再三調査して中国人による統治の痕跡が見られなかった後に占有を決定したのであり、領土に関する「先占の原則」に合致するものだと繰り返し喧伝している。これは全くのでたらめだ。

第1に、日本が1895年にこれらの島嶼を盗み取るまで、釣魚島は中国の無人島だったのであり、いわゆる「無主の地」では断じてなかった。中国の王朝側史書の記述によると、明朝の洪武五年(1372年)より、中国明朝の冊封使らが釣魚島及びその附属島嶼を琉球国へ渡航する際の海上航路標識とするとともに、張赫、呉幀を派遣し舟師を率いて海上交通路を守り、これらの島嶼を中国の海防の範囲に組み入れた。中国は清朝からこれらの島嶼を台湾府噶瑪蘭庁(現宜蘭県)の管轄下に置いた。清政府の初代巡視台湾監察御史、黄叔ケイ(ケイは王偏に敬)は釣魚島を視察したうえ、報告である『台海使槎録』に記載した。

第2に、1874年の台湾への初侵入から1894年の甲午戦争(日清戦争)発動までの20年間に、日本の海軍省が作製した『清国沿海諸省』および刊行した各種水路誌はいずれも、釣魚島、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・大正島)を台湾北東諸島と認めている。日本の外務省、陸軍省も海軍省作製の地図を相次いで確認している。1885年、日本が琉球国を併呑して沖縄県と改称してから6年後、山縣有朋内務卿は釣魚島など無人島への日本の標識建立を沖縄県に2回密かに命じたが、これらの島嶼を占領すれば中国と衝突が起きる恐れがあるとして、沖縄県令と外務大臣に遠回しに断られた。もし彼らが当時釣魚島及びその附属島嶼を「無主の地」と認定していたのなら、なぜ中国との衝突発生を懸念するのか?

第3に、甲午戦争までの20年間、日本海軍省は釣魚島及びその附属島嶼を台湾北東諸島と一貫して認識していた。これには根拠が主に2つあった。1つは、1848年出版の『サマラン号航海記(1843―1846)』から1894年までの英国海軍の文献および地図であり、いずれも釣魚島及びその附属島嶼を台湾北東諸島として記載し、赤尾嶼を中国の同列島線の最東端と明確に認定している。もう1つは、1863年の中国清朝の『大清一統輿図』だ。同図も釣魚島を中国台湾の島嶼に明確に入れたうえ、赤尾嶼と向かい合う琉球の島「久米島」を異なる方式で表示している。(編集NA)

「人民網日本語版」2016年5月3日

 

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