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「疲れすぎ」や「暇すぎ」に注意! 若者の職業選択基準のヒントとは?
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· 2019-12-04 · ソース:人民網 |
タグ: 職業;若者;社会 | 印刷 |
次に、「暇すぎる」ことについてみていこう。これが原因で辞職することは、「若者は一体何を考えているのかわからない」と人に感じさせるような行動なのではなく、実は彼らが明確な理想や価値観を持っているからこその選択だと言える。彼らは決して「ビート族(常識や道徳に反抗し、無軌道な行動をする若者)」ではなく、キャリア発展をしっかり考えており、やりがいや事業発展を志している。一方、暇すぎる会社は社員にキャリア発展の可能性を提供することは難しく、「仕事が人を引き留める」ことができないのだ。
実際のところ、暇すぎる会社というものはいずれも「頭打ち」という問題を抱えているケースが多い。会社によってはその発展が頭打ちで、下手をすると会社の存続すら危うく、どうにもしようがないという場合さえある。また社員個人の発展が「頭打ち」というケースもある。それは会社の枠組みがほぼ成熟しており、レベル別管理がかなり固定化し、決まりきった昇進ルートしかない場合だ。あるホワイトカラーは、「卒業したばかりの私にとって、仕事の初志は、安定ではなかった。古臭い習慣を踏襲するのが嫌で、何もせず無為に過ごすことを恐れ、挑戦し甲斐のある仕事をやりたかった。このような考え方は、批判の対象となるべきではなく、逆に大いに提唱されるべきものだ」と訴えた。
このような状況から、忙しすぎる、あるいは暇すぎるのは嫌という若者は決してワガママなのではないことがわかる。直視すべきは、これまで多くの人はただ一つの職場のためにだけ働いていたが、今のホワイトカラーの多くは、その職場に対してより厳しい要求を突き付けているという現状だ。また、社会の発展やチャンスの増加も、ホワイトカラーにより多くの選択肢を提供するようになっている。調査によると、若い人が「裸辞」を考える最大の原因は、キャリア発展の可能性が見えないことであり、給料などの待遇はそれに続く形となっている。この事実は、企業側に市場評価と熱意をスローガンにしてはならないと警告している。実際の業績を上げるためには、社員にキャリア発展の見込みがあると感じさせ、発展の成果をシェアする必要がある。社員をただの道具と見なすことや、全面的な発展という彼らのニーズを軽視することは、ゆめゆめあってはならない。(編集KM)
「人民網日本語版」2019年12月4日
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