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新年の雰囲気が薄まったのか、暮らしがよくなったのか
張頤武  ·   2018-02-22  ·  ソース:北京週報
タグ: 春節;新年;社会
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春節(旧正月)の7連休が終わった。「もっと長かったらいいのに」と感じた人も多いだろう。しかし「新年の雰囲気が感じられなくなった」と思う人も少なくないのではないか。しかも、ここ数年それがどんどん進んでいる。この点について、私たちは自分たちの文化、ひいてはその最も核心的な部分を失いつつあるのではないか、と心配する人もいる。私の見るところ、こうした心配に道理がないわけではないが、やや思い過ごしでもある。

実際のところ、注意深い人なら、ここ数年「新年の雰囲気が感じられなくなった」という声が高まると同時に、春節の準備や計画の時期がますます早くなっていることに気づいているだろう。このことから、春節は依然として中国人にとって最も重要な祝日であることが分かる。では、なぜ新年の雰囲気が以前より感じられなくなったと思うのだろうか?

まずは時間だ。以前、春節の休みは今ほど長くなく、祝い始めるタイミングも今ほど早くなかったため、とても大切にされていた。現在の春節は7連休で、中には従業員に10日以上の休暇を出すところまであり、気分的な盛り上がりが弱まるのも情理にかなっている。

次がシンボルだ。これまで年越しのシンボルだったものがなくなったり、存在感が薄くなったりしている。最も典型的な例が爆竹だ。以前は安全上の問題で制限・禁止されたが、現在は大気汚染対策のためである。

3番目は機能だ。春節の多くの機能が弱まった。例えば、これまでは年越しに一家が共に食卓を囲んで一家団欒し、食卓に並ぶ魚料理や肉料理などのご馳走は本当に意義があるもので、美味と称するに足るものだった。それが現在では、暮らし向きがますます良くなり、おいしいものを食べたいという欲求を大晦日の夜のご馳走で満たすといった意味合いはほとんど存在しなくなった。爆竹はまだ北京の5号環状道路の外側で鳴らすことはできるものの、以前のような興奮はもう味わえない。今では娯楽手段がますます多様化し、しかも1年365日いつでも楽しめるからだ。

改革開放40年で中国の物質生活は極めて豊富になり、春節は新たな意味合いを持つようになったと言える。つまり、春節は中国人にとって新年の祝日でもあり、バケーションでもある。春節は依然として中国人にとって最も重要な祝日である一方で、最も重要な休暇でもあるのだ。

素晴らしくて幸福な生活のために、勤勉な中国人は一年中懸命に働く。そのため、私たちは休暇をますます重視し、大切にするようになった。海外旅行にしろ、国内の別の場所に行くにしろ、春節の7連休は得がたいレジャーの好機だ。そのためここ数年は、春節の休暇を豊富に過ごそうと早くから計画を立てるようになった。

今後、春節のバケーションという意味合いはますます濃くなっていくだろう。世界の観光業への波及効果はますます顕著になるはずだ。欧米であれ東南アジアであれ、世界各地がそれに応じて変化し、中国人の年越しのニーズに合わせている。したがって、春節が年越しであると同時にバケーションシーズンでもあることによって新年の雰囲気が感じられなくなったのではなく、ただ場所が変わっただけなのである。

春節の意味合いにおいて、年越しとバケーションは取って代わられるような関係ではなく、並存関係にあり、しかもすでに認知されている。よく言われる「新年の雰囲気が感じられなくなった」というのは、実のところ中国で中所得層が徐々に主導的地位を占めるようになり、春節の性質と価値がそれに伴って変化したということなのだ。これが背後にある深層意義である。注意するべきは、年越しとバケーションという春節の意味合いのバランスをうまく取る必要があることだ。社会にゆとりができ、大晦日を過ぎれば各々があちこちに出かけるような現在においても、一家団欒はやはりするべきなのである。

(張頤武 北京大学教授)

「北京週報日本語版」2018年2月22日

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