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血縁なき親子の情、中国残留孤児「吉長桂子」の中国人母の記憶
  ·   2015-10-12
タグ: 中国残留孤児;日本;中日交流
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私は中国残留孤児で、吉林省長春市より帰国してから日本国籍を回復し、吉長桂子という名に変えてこれを記念した。中国の家族の深い情を抱きながら、私はずっと私と養父母の歴史を書きたいと思っていたので、断片的ではあるが、思い起こしながら綴ってみたい。思いを込めて。人民日報海外版が伝えた。

(一)

私は5.6歳の時、養父母のもとに送られた。子供ながら理解していたにもかかわらず、中国に残されたことは私にとっては晴天の霹靂だった。家の門をくぐった時もずっと大声で泣き叫び、養父母に近づこうとせず、敵意をむき出しにしていた。幾日か経って、ようやく隔たりが徐々に消え、その女性を母と思うようになった。私が初めて「お母さん」と呼んだのを聞いて感動する養母の姿は今でも覚えている。養母が喜びながら私を固く抱きしめ、頬を寄せながら「宝貝(バオベイ、幼児に対する愛称)」「宝貝」と何度も叫ぶ場面を想い浮かべると未だに涙が溢れてくる。

(二)

養母は私が立派な大人になれるよう心を砕いて育ててくれた。わざわざお金を払って家庭教師をお願いし、読み書きを勉強させてくれた。日常生活においても私がどのように振る舞えばいいか、自ら身をもって手本を示し、たくさんの生活の知恵を教えくれた。養母は洗濯、裁縫、刺繍など女性としての教養も教えてくれた。私は結婚してからは、夫と子供の普段着を全て自分で作った。もちろんぶっきら棒に教えるのではなく、母娘の間にはいつも冗談や笑い声が絶えなかった。今思い返すと、私はこの何気ない日常生活の中で養母の深い愛と暖かさに包まれ、幸せだった。

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