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いつでも希望を持ち続ける
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馬力 · 2015-11-23 · 北京週報 |
タグ: 障害者;ラテンダンサー;社会 | 印刷 |
「2014年の春節はキューバに公演に行きました。公演したのは標高が高いところだったので、ひどい高山病になりました。リハーサルでちょっと踊るとすぐにトイレに駆け込んで吐いてしまい、そのたびに酸素吸引しました」。芸術団の「ラテンクイーン」と呼ばれる祝悦さんの言葉に記者は強く引きつけられた。
2015年9月15日、北京大学の百年講堂でラテンダンスを披露する梁源鋼
さんと祝悦さん(右)(写真提供:梁源鋼)
21歳のラテンダンサー、祝悦さんは黒竜江省チチハル出身。2006年、祝さんの両親は彼女を中国障害者芸術団に入団させた。だが、手話ができなかったのと、知らない環境への恐怖のために、それほど経たないうちに、両親はまた祝さんを北京から連れ帰ることになった。
小さい頃からのダンサーになるという夢、それに加えて両親の期待もあったため、2007年に祝さんは再び芸術団に入り、自分の夢をかなえた。「頑張りなさい。お父さんやお母さんにとっては、お前はほかの子に比べて何も劣っていたりはしないよ」。これは両親が2回目に祝さんを北京に送り届けた時にかけた言葉だ。祝さんはこの言葉を今もはっきりと覚えている。
「芸術団に来たばかりの頃はとても内向的で、自分の踊りにも自信がありませんでした。当時、男性パートナーと一緒に練習していても思い切った表現ができず、ダンスの出来に大きく影響していました。当時は、またあきらめて帰ろうかとも思いました」。祝さんは、その頃は臆病で自分を卑下する気持ちにとらわれていたと話す。後になって、指導の先生が時間を取って彼女にこう諭した。「『舞台の上で一分輝くためは、舞台の下の十年の練習が必要』と言うでしょう。優れたダンサーになりたければ、心の中の障害を克服しなければいけない。ダンスの中に入り込んで、役柄になりきりなさい」。
両親が残した励ましの言葉と、指導の先生の教えを胸に、祝さんは歯を食いしばって心の問題を克服した。そしてたちまち芸術団の優れたラテンダンサーに成長した。
「2014年の南米公演は一生忘れられません。何度高山病の症状が出てもへこたれませんでした。両親のために、そして自分の夢のために、これからも頑張ります」。
「北京週報日本語版」2015年11月25日
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