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元八路軍日本人兵士の小林寛澄さん「閲兵式に出席できて
光栄」

                                   本誌記者 繆暁陽

 寺の住職、中国侵略日本軍兵士、抗日八路軍兵士、遠洋商船翻訳、日本八路新四軍戦友会会……これらは小林澄さんが人生で経験してきた5つの肩書きだ。小林さんにとって、最初の2つは自分で選ぶことができず、3つめは一生の誇りであり、4つめは名乗った期間が最も長く、5つめは特に大切にしているものだ。

 

9月1日、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典出席のため北京に向かう小林寛澄さん。東京羽田国際空港にて撮影。(小林陽吉さん提供)

 

9月2日~3日、日本八路新四士会会長の小林澄さんは日本老士代表団団長として、北京で行われた中国人民抗日争・世界反ファシズム70周年記念式典出席した。閲兵式の前日、小林澄さんは中国で96の誕生日を迎えた。 

今回の抗日戦争閲兵式に出席する気持ちを聞かれた際、小林澄さんは「光栄です!うれしい!」と感激に満ちた様子で語った。小林さんは、「今度の閲兵式には同志がいる。その人と握手する時は、それは感動するだろう」とも語った。 

1919年9月2日、小林澄さんは群馬県の寺の住職の家に生まれた。小林さんは家業を継ぎ、家庭を築き、裕福な生活を送れるはずだった。しかし、日本が侵略争を発動したため、1940年、小林さんはやむなく中国侵略日本軍の一員として中国山省の地を踏み、青付近の桐林分遣隊でトーチカの守備に当たった。 

1941年6月19日は小林さんの一生におけるターニングポイントとなった。この日、小林さんは所属する小分隊に従って牟平付近の掃蕩を行っていた際、捕虜となったのだ。軍国主思想に洗脳された日本軍兵士にとって、それは大いなる恥辱だった。小林さんは2度自殺を図ったが、2度とも八路軍に助けられ、適切な治療を受け、優遇された。 

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