1937年7月7日、盧溝橋事変(盧溝橋事件)が勃発し、中国は全面抗日戦争の時代に入った。2015年5月7日、習近平国家主席はロシアメディアへの寄稿「歴史を銘記し、未来を切り開く」で、ロシアが第2次世界大戦の「欧州の主戦場」であり、中国が「アジアの主戦場」であったことを指摘。後者について「4つの最も」を挙げた。
最も早く始まった。1931年に日本が「九一八」事変(満州事変)を発動し、中国は抗日戦争を開始した。「九一八」から1941年末の太平洋戦争勃発まで10年間の長きにわたり、中国は東方唯一の反ファシズムの戦場だった。
最も長く続いた。「九一八」から1945年の日本の降伏まで、中国抗日戦争は14年間の長きに及んだ。元軍事科学院戦争理論・戦略研究部研究員の劉庭華氏の研究によると、日本ファシズムの侵略に中国が対抗した戦争の期間は、ソ連と米国の反ファシズム戦争の期間の3.5倍、英国の2.5倍だ。
最も困難だった。劉氏によると、抗日戦争中に中国の軍隊が殺し、負傷させ、または捕虜にした日本軍は計150万人余りで、第2次大戦中の日本軍の死傷総数の70%以上を占める。装備面で優れた日本軍に対して中国の軍隊がこれほどの戦果を挙げたことから、その極めて困難な戦いがうかがえる。
最も被害が大きかった。「アジアの主戦場」は死傷者3500万人という大きな民族的犠牲を払い、同胞4億人以上が直接的または間接的に戦争に巻き込まれた。
歴史を銘記することの重要性について、山口大学の纐纈厚副学長は「1874年の台湾出兵、1894年の甲午戦争(日清戦争)、1904年の日露戦争、1914年の第1次世界大戦と、『4』の年になるたびに日本は大きな戦争に参加した。これは一体偶然か、それとも必然か。私は2つの必然的要因があると考える。歴史の教訓を忘れ、同様の過ちを繰り返したこと。戦争は日本の国家発展の原動力であり、ひとたび戦争に勝利すれば発展を得られると考えたことだ」 と指摘した。歴史の忘却は許されない。歴史を銘記するのは、未来のためだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年7月6日 |