「70年前、我々と親の世代は日本軍国主義の侵略者によって花岡に強制連行され、鹿島組の棍棒とムチの下、極めて劣悪で非人間的な環境に置かれ、厳しい労働を強いられ、搾取と奴隷のような酷使を受けた」。6月30日、当時の中国人労働者の遺族の一人、王敬欣さんは、花岡事件で犠牲となった労働者のために秋田県大館市が開いた慰霊式でこう述べた。人民日報が伝えた。
日本は第2次大戦中、約4万人の中国人を強制連行し、労働を強制した。1945年6月30日、秋田県花岡で労働を強制されていた中国人労働者らは過酷な労働環境と虐待に耐え切れず、後に「花岡暴動」と呼ばれる暴動を起こした。70年が過ぎた今年、現地自治体の開いた慰霊式には、幸いにも生き延びた中国人元労働者と遺族ら200人余りが出席した。歴史を鑑(かがみ)とし、歴史の悲劇を再演しないことが目的である。
式に参加した中国人元労働者と遺族、中日両国の各界の人々は、真っ白な菊の花を手に、ゆっくりと記念碑の前へと歩き、犠牲となった中国人労働者に頭を下げ、黙祷した。参加した遺族の一人、宋明遠さんは、生まれる前に父が日本に強制連行された。70歳の宋さんは式場で抑えきれず声を出して泣き始め、慰霊碑の父の名を指差しながら、しわがれた声で訴えた。「毎回来るたびに悲しくなる。私は生前の父を知らない。父に正義を取り戻すため、日本政府が謝罪・賠償するまで戦い続ける」
今年4月に当選したばかりの福原淳嗣・大館市長は、市と市民を代表して、「中国殉難烈士慰霊之碑」の前に、犠牲となった中国人労働者429人の名簿を捧げた。福原市長は慰霊の言葉で、花岡事件をもたらした非人道的な行為は絶対に許されるものではないとし、「過去の過ちを再び繰り返さぬよう、歴史を鑑としなければならない」と述べ、大館市民とともに日中友好と世界の永久平和に貢献する決意を語った。
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