「私の中国の養母の心は水のように透き通っていて、まったく汚れがなかった。養母が私を育ててくれたのは私心からではなく・・・・・・養父母は私のような侵略者の子供の排泄の世話をし、大きくなるまで育ててくれた」。中国残留日本人孤児の中島幼八さん(78)は中国の養父母について語ると、思わず涙を流した。新華網が伝えた。
中島さんは最近中国でのさまざまな思い出を記録した著書「この生あるは――中国残留孤児がつづる」を自費出版した。中島さんは黒龍江なまりの中国語で、「この本を出版したのは、中国人の養育の恩に報い、日本人にこの時代の歴史を思い出させ、中国人の真の姿を理解させるため」と語った。
東京で生まれた中島さんは1歳の時に両親と姉と共に開拓団員として、中国の黒龍江に渡った。父親は1945年に軍に応召された後、音信不通となり、中島さんらは敗戦のため避難民となった。
食事にも事欠くようになった母親は栄養失調で瀕死(ひんし)の状態に陥った中島さんを生かすため、中国の行商人である王さんに息子を託した。王さんは布団にくるまって熟睡している中島さんを背負い、一軒ずつ訪ね歩いて親切な人を探した。「この幼い命のなんとかわいそうなこと。私が育てるわ」。中国の農村に住む孫振琴という名の女性は、この子供が日本の侵略者の子供だと知った上で、二の句は言わずに子供を引き取った。
孫振琴さんは、中島さんを家に連れ帰った後、おなかをさすり、食べ物をかみ砕いて口移しに食べさせ、つきっきりで看病した。そのおかげで中島さんは一命を取り留めることができた。
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