日本を訪れて2日目、朝日新聞社を見学しに行く時、ちょうど通勤時間とぶつかった。運転手は、謝りながら、「渋滞するかもしれません」と言った。しかし、この程度の渋滞なら、中国の通勤ラッシュ時とは比べ物にならない。日本の土地資源は限られており、東京でさえ広い道路はほとんど見られなかった。道路の多くが4車線だった。しかし、日本各地を回ったが、車のクラクションを聞くことは1度もなく、交通を取り締まる警察官もいなかった。後者はいくら考えても不思議に思う。
東京の街で最も寂しいと感じたのは色だった。建築物も、人が身に着けている服や物も、基本的に寒色系の色だった。以前に読んでいた日本のファッション雑誌から、日本の街には草間彌生のような派手で変わったおばさんが溢れていると思い込んでいた。何着か派手な色の服を持って来たが、東京に足を踏み入れた瞬間に失敗したと感じた。渋谷の街には、人は多かったが、ほとんどの人が髪型や帽子、タイツなどには個性が感じられたが、最も多く見られた色は、やはり黒や白、グレー、ベージュなど地味な色ばかり。ダイヤやスパンコールが付いた靴を履いている日本人は1人もいなかった。今も中国のオンラインショップ・淘宝網で大量に売られている日本の正規輸入品の傘が本物かどうかを疑っている。なぜなら、日本の街では、男性はビジネス仕様の黒い傘、女性は透明のビニール傘をさしており、時にグレーや、ベージュの傘をさしている人を見かけても、花柄や柄が入った傘をさしている人はいなかったからだ。我々が大阪城の日差しの中で、皆同じ派手な傘を持って歩いているあの感覚は…言わなくてもわかるはずだ。
■「事足りればいい」の哲学
北京から東京に向かう飛行機の中で、日本航空は1枚の紙ナプキンを配った。これが我々にとっての初めの授業となった。
このナプキンはお茶の葉を回収して作った紙ナプキンで、淡い緑色をしていて、ほのかな緑茶の香りが漂っていた。私と相席の人は共に感嘆した。相席の人は冷静な様子で、「この紙ナプキンを作るには、通常のバージンパルプを作るよりも、コストは絶対により高くつくはず」と語った。日本の公共の場で置かれていたトイレットペーパーはすべてシングルで、包装紙の上には、「これは再生紙です」と書かれていた。私はといえば、国内でスーパーに行くと必ずまっすぐにバージンパルプのティッシュ売り場に向かっていた。
数日間で、見学したいずれの政府機関や新聞社でも胸章が渡された。非常に薄い紙に資料がプリントされ、透明のプラスチック製の名刺ケースに入れてあった。見学し終わると、胸章は必ず回収される。このプラスチック製のケースは、こうして何度も繰り返し使用される。