日本横浜国立大学名誉教授のに村田忠禧氏はこのほど新著『資料徹底検証:日本は釣魚島をいかに占拠したか』で、公開された資料の収集、検証を通じて「釣魚島(日本名・尖閣諸島)は日本固有の領土」との日本政府の見解に全面的に反論した。
村田氏は人民日報の取材に「1879年に明治政府が琉球藩を廃して沖縄県を設置した際、釣魚島は日本の版図に組み込まれていなかった。1885年に山県有朋内務卿が西村沖縄県令に清朝福州から沖縄県那覇までの無人島を調査し、その帰属を明らかにし、領土標識を設立するよう指示した。だが西村はすぐには実行しなかった。こうした島々が清朝と関係のあることを知っていたからだ。最終的に山県は標識設立の中止を命じた。1894年に奈良原繁沖縄県令は内務省高官への書簡で『黄尾嶼(日本名・久場島)、釣魚島(日本名・尖閣諸島魚釣島)がわが国に属することを証明するいかなる歴史文献もない』と指摘した」と述べた。
村田氏によると、日本外務省はウェブサイトで「1885年以降、日本政府は沖縄県政府などを通じて釣魚島に対して実地調査を繰り返し行った」としているが、「調査を繰り返し行った」ことはない。日本が釣魚島に対して行ったいわゆる実地調査は1885年10月末に沖縄県職員が釣魚島で行ったわずか数時間の調査だけだ。
村田氏によると、1895年に日本政府は閣議決定で黄尾嶼と釣魚島を占拠したが、国内および国際社会に対して正式に発表はしなかった。「このような火事場泥棒的行為に合法性はなく、国際法に照らしても国内法に照らしても認められず、盗み取ったとしか言いようがない」。
村田氏は2013年6月に『日中領土問題の起源』を出版。日本側の公表した資料を基に、釣魚島は沖縄県または歴史上の琉球には属さず、日本固有の領土ではないとの結論を導き出した。今回の新著では新たに発見された資料を追加した。村田氏は、同書の資料は全てアジア歴史資料センター、日本の国会図書館や外務省の公開資料を基にしており、「いかなる人の検証や反論も恐れない」としている。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年4月13日 |