パナソニック子会社の三洋電機は、三洋テクノソリューションズ鳥取(STS)の全株式を、 ジェイ・ウィル・パートナーズ(JWP)が運営するファンドの出資する特別目的会社ジェイ・ アイ・エー(JIA)へ、3月31日付けで譲渡する。これにより、三洋電機にとって最後の生産子会社が売却されることになり、68年の歴史を持つ三洋電機が事実上消滅することになる。北京商報が報じた。
60年の輝かしい業績が過去のものに
三洋電機は、1947年に井植歳男氏により大阪で創業され、自転車用発電ランプを最初の製品として製造。その後、ラジオや洗濯機、テレビなどの分野に進出した。1960年代に入ると、同社はすでに大手家電会社の地位を築いていた。年間売上額はピーク時には2兆円に上り、株価はパナソニックや東芝などのライバルを遥かに超えていた。従業員も最も多い時で10万人以上を数えた。
1990年代になると、高い性能や高い部品供給能力などのメリットを生かし、同社は、他の企業のOEM生産を始め、短期間の内に巨額の利益を上げるなど、同時期経営に苦しんでいた他の日本の企業とは大きな差を開けた。しかし、OEM生産で利益を上げた反面、新しい商品開発がおろそかになり、業務転換が遅れた。これが、その後、同社の業績が悪化の一途をたどる原因となってしまう。
輝かしい業績を上げてちょうど60年が立った2007年、同社はついに岐路に立たされた。同年5月、米ゼネラル・エレクトリック・カンパニーがTOBにより事業者金融主体の三洋電機クレジットを買収したのだ。そして、08年1月には、携帯電話事業を京セラに売却。最終的にパナソニックに買収される道をたどった。08年11月、パナソニックは三洋電機を子会社化することで基本合意したことを発表。10年8月には、友好的TOBを実施し、三洋の全株式の80.98%を取得した。そして、三洋を完全子会社化することを決め、11年3月29日に、三洋は上場廃止となった。
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