■風評との戦い
近年、日本の政治家が靖国神社を参拝するのに伴い、釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題、歴史教科書における戦争の問題など、中日関係はずっと冷え込んできた。このような状況下、中日友好を提唱してきた「周恩来・池田大作研究会」は常に周囲から疑問や誤解を受けてきた。「ほとんどの場合、学生にその中の道理をわかりやすく説明し、これらの思想上の結論が自然に誤解を解くことになり、問題だと思っていたことが客観的になる」と紀教授は語った。しかし、たとえそうであったとしても、民族の感情は、時に過激で極端な意見も生まれてくる。ある学生は卒業する際に、紀教授に自分の意見をぶつけてきた。「友好的でない国に関わるのはよしたほうがいいのではないか?理知的でない人たちはいつも紀教授の悪口を言っている。なぜなら、その人たちにとって、中日友好を提唱することは売国奴の行動にほかならないからだ」。
しかし、誤解されながらも、研究会のメンバーたちは熱心に活動に参加し、創価大学からも大きな支援をもらった。シンガポールからの留学生、陳清香さんは、「周恩来・池田大作研究会」には一種の奇妙な魅力があるという。最初の頃、陳さんは、研究会は室内の中だけで行われるものだと思っていた。しかし、のちにここは厳粛な学術セミナーであるだけでなく、それ以上に非常に親密な交流の場であることがわかってきた。陳さんは、「ここでは、私たちは平和が起こるのを待つのではなく、人と人とのコミュニケーションと交流で、未来を創造している」と語る。
南開大学で、研究会のメンバーが努力していることには、もう一つ別の意味がある。1937年に旧日本軍が中国を侵略した際、南開大学は、初めて旧日本軍に砲撃を受けた大学となった。校舎はほとんど破壊され、平地と化した。今の南開大学は、当時の廃墟の状態から、一つ一つ校舎を再建してきた。多くの校舎にはその歴史に関わる文字が彫られている。周恩来・池田大作研究会の卒業生たちは当然この歴史について熟知していると同時に、「戦争の忌々しさを深く知ることによって、平和や友好の尊さをより一層大切に感じられるようになる」ことを知っている。(編集MZ)
「人民網日本語版」2014年12月17日
|