昭和最強の囲碁棋士、呉清源(ご・せいげん)さんが11月30日午前1時11分、老衰のため神奈川県小田原市内の病院で亡くなった。100歳だった。同悲報は、中日両国のメディアが一斉に報じた。そんな中、中国を代表する棋士・聶衛平(じょう・えいへい)七段の長男・孔令文(こう・れいぶん)さんが取材に応じ、呉さんや中日の囲碁交流について語った。人民網が報じた。
1981年生まれの孔さんは、呉さんについて、「大先輩に当たる呉さんの囲碁における成果について、自分には評価する資格がない」と非常に謙虚に語り、「『偉大』としか言えない」と語った。また、呉さんとの縁に関して、「付き合い」などの単純な言葉で表現することはできないとした。
10歳の時に、母親の孔祥明さんと共に東京に行って生活を始めた孔さんは、子供の頃から呉さんと接触する機会がたくさんあった。日本で生活し始めたばかりの数年間、呉さんの近くに住んでいた孔さんは、週末になると母親に連れられて呉さんの家を訪問していた。当時、既に高齢だった呉さんは、囲碁のことよりも、「易経」など哲学について話すことが多かった。呉さんに、どうしたら囲碁で勝つことができるか実際に教えてもらったこともあるという。貴重なそれらの機会は、孔さんにとって印象深く、今でも当時の対局を覚えているという。孔さんにとって、呉さんは、神のような存在の師匠でありながらも、近づきやすい存在だった。当時、呉さんは単に囲碁を追求しているというよりも、思想の高みを追求していると感じたという。
2013年、孔さんは呉さんを訪ねたことがあり、呉さんはその時既に老衰が始まっていたものの、数十年前のことを覚えていた。「呉さんは『平和』に対して、レベルの高い見解を持っておられた。中日両国の友好的な交流だけでなく、世界平和を望んでおられた」と孔さん。
呉さんが亡くなる少し前にも、孔さんは呉さんの家族と、囲碁を通して国家間の交流を図ることに関して話したといい、それは呉さんの願いでもあった。孔さんは呉さんの弟子ではないものの、波乱万丈の呉さんの経験や囲碁の技術、優れた人格などから、大きな影響を受け、囲碁を推進し、囲碁を通じてさまざまな国との交流を促進しようと堅く決意したという。
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