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日本人戦犯6人目・船木健次郎の供述書公開 部落を壊滅 毒ガス使用も

日本人戦犯・船木健次郎の1954年5月から6月の供述書によると、船木は1897年に日本の富山県に生まれ、1937年12月に中国東北部に赴き、第4国境守備隊歩兵少佐大隊長に任じられた。1943年8月に日本に帰国し、再び朝鮮に渡った。1945年6月には第137師団第375連隊大佐連隊長に任じられた。同年8月15日、ソ連赤軍の捕虜となった。

船木が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。

「我大隊ニ対シテ旅団長ヨリ部落ノ覆滅ヲ命セラレタコトガ数回アツタガ其年月日場所等ハ明確ニハ記憶シテヰナイ。即東斎堂南方十五粁位ノ地点ニテ一ヶ所約一五戸位、東斎堂西南方二十粁位ノ地点ニテ一ヶ所約一五戸位、東斎堂西北方約三十粁位ノ地点ニテ一ヶ所約一五戸位デアル」

「一九四一年八月頃、宛平県外西南方地区ニ対スル旅団ノ作戦ニ我大隊モ参加シタガ此ノ作戦ノ際、旅団予備隊ガ一部落(東斎堂西南方約四十五粁)ヲ焼却シタ。其戸数ハ一五戸位ト記憶ス」

「一九四三年四月頃、宛平県外ノ南方地区ニ対スル旅団ノ作戦ニ我大隊モ参加シタガ此ノ作戦ノ際、旅団予備隊ガ同地区(東斎堂西南方約六十粁)ノ部落数個ヲ焼却シタ」

「住民使役ニ関スル事項」では、「新ニ構築シタ守兵七名乃至二〇名ノ為ノ小陣地ノ数ハ6ヶ所位ト記憶ス。此ガ為ニ要シタ延人員ハ千五百名位ト思フ。又既設ノ陣地ヲ補修強化シタ場所ハ東斎堂ヲ始メトシテ約三ヶ所ト思フ。之ニ要シタ延人員ハ約千名ト思フ」

「経済封鎖ノ為ノ遮断壕ノ構築」では、「実際ニ壕ヲ築造シタ部分ハ十五粁位ト思フ。之ニ要シタ労力ハ毎日千乃至二千位ニシテ約一ヶ月位ヲ要シタト思フ」

「毒瓦斯ノ使用ニ就テ。我大隊ニハ一般ノ毒瓦斯ヲ支給サレタコトハ無イ。但シ赤筒ヲ支給サレタコトハアル。其ノ時期ハ一九四ニ年デアッタト思フ。旅団兵器部ヨリ支給サレタ時、大隊兵器掛将校ハ自分ニ対シテ赤筒ハ毒瓦斯ノ範囲ニ属セスト説明シタ。支給サレタ赤筒ノ数量ハ記憶シテヰナイ。大隊トシテハ各中隊ニ対シテ平均ニ配当シタト考ヘル。各中隊ガ赤筒ヲ如何ニ使用シタカハ詳細ニ記憶シテヰナイ」(編集MA)

「人民網日本語版」2014年7月9日

 

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