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日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開 八路軍幹部を毒ガスで惨殺

中央公文書館(中央檔案館)は3日以降、鈴木啓久ら日本人戦犯45人の供述書(日本語)とその中国語訳の原文の画像、および戦犯供述書の要旨(中国語と英語)を初めて公式ウェブサイト上で公開する。45人分を毎日1人ずつ公開する。

国家公文書局ウェブサイト上で公開された日本人戦犯・鈴木啓久の1954年7月の供述書によると、鈴木は1890年に日本の福島県に生れ、1934年に中国東北部で中国侵略戦争に参加し、歩兵第28連隊隊長補佐に任じられた。後に1945年4月には日本陸軍中将兼第117師団長に任じられた。同年8月31日、吉林省で捕虜となった。今回公開された鈴木の供述書の原文資料は計38ページ、供述書の当時の中国語訳資料は計33ページ。

鈴木が白状した重要な犯罪行為として、以下のものが挙げられる。

1934年6月頃、錦州で「中国人民ノ農民二名ヲ殺害シマシタ」。

1935年3月上旬頃、高木大佐を援助し、高木大佐は「上板城附近ニ於テ約三〇〇戸ノ部落二個ヲ焼却シ中国人民多数ヲ殺害シマシタ」。

1940年9月、安徽省宣白作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名への「毒瓦斯攻撃ヲ命ジ其ノ全員ヲ惨殺致シマシタ」。

1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、「中国人民及朝鮮人民婦女二〇名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」。

1941年11月、河北省棗強で八路軍を攻撃し「八路軍約一〇名ヲ殺害シ且ツ約六〇〇戸アル村落二個ヲ焼却シ此ノ時中国人民ノ農民一〇〇名ヲ屠殺致シマシタ」。

1941年12月、「長城線附近二粁以内ニ於テ」「住民ヲ悉ク追イ掃ヒ無人地帯トナスベシ」とした。

1942年1月、唐山一帯で田浦大佐に対して掃蕩を命令し「田浦ハ其ノ部落約八〇〇戸ヲ焼却シ且ツ其ノ部落ノ中国人民ノ農民一,〇〇〇名ヲ屠殺シタノデアリマス」

1942年4月、「魯家峪ニ於テノ洞窟攻撃ニ際シ毒瓦斯ヲ使用シテ八路軍ノ幹部以下百名ヲ惨殺シ又戦火内ニ引キ入レラレルコトヲ恐レ魯家峪部落附近ノ山地ニ避難セル中国人民ノ農民二三五名ヲ中モ妊婦ノ腹ヲ割ク等ノ野蛮ナル方法ヲ用ヒテ惨殺シ魯家峪部落約八〇〇戸ヲ焼キ」「俘虜ハ玉田ニ送リ其ノ中約五名ヲ殺害シタ」「且ツ婦女ノ強姦百名ニモ達シタノデアリマス」。

1942年7月、豊潤で「村落約五〇〇戸ヲ焼却シ中国人民ノ農民約一〇〇名ヲ惨殺シマシタ」。

1942年9~12月、遷安、遵化などの地を無人地帯にするため、住民を全て追い払うべく「焼却シタ家屋ハ一万戸余リニ上リ追イ掃ラハレタ中国人民ハ数万ニ上リ又惨殺セラレタ中国人民ハ甚ダ多数アルノデアリマス」。

1942年10月、「灤縣潘家戴荘ノ中国人民ノ農民一,二八〇名ヲ或ハ銃殺シ或ハ刺殺シ或ハ斬殺シ又ハ生埋メヲナス等ノ野蛮ナル方法ヲ以テ集団屠殺シ」「部落全戸八〇〇ヲ焼却」した。

1942年、「日本侵略軍ノ蟠居スル所ニハ私ハ各所ニ慰安所ヲ設置スルコトヲ命令シ中国人民婦女ヲ誘拐シテ慰安婦トナシタノデアリマス其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。

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