▽バブルを生んだ4つの要素
第一に、日本円の大幅な上昇。1985年、米国を初めとする西側国家の圧力に迫られ、日本はプラザ合意を締結し、円高が大幅に進んだ。1ドル240円から翌1986年には160円にまで高まり、その後上昇が緩和したが、1988年には130円まで上げ、3年で5割の上昇を記録した。(人民元は2005年の為替制度改革以降、上昇を続けているが、ドル換算の上昇率は3割前後にすぎない)。本国通貨の上昇で外資が大量に入り込み、日本国内の資本は異常に活発化し、株式市場と不動産市場はこれに伴って急激な高まりを見せた。
第二に、流動性の過剰。1986年、日本銀行は連続4回にわたって公定歩合(基準金利)を引き下げ、5%から1987年には2.5%の超低金利に引き下がり、戦後最低水準に達し、1989年5月までそれは続いた。さらにプラザ合意で日本円が対ドルで大幅な上昇を続けたため、日本政府は円高を抑制するため、為替市場にたびたび介入し、日本銀行は大量のドルを買い、日本円を売った。その結果、日本円の供給量が膨張し、流動性の過剰が激化した。
第三に、過度の自信。1980年代、日本の経済力と財力は絶好調で、政府も民衆も有頂天となり、地価は永遠に上がり続けると信じていた。日本の総理府が1987年に行った調査によると、半数以上の回答者が「土地だけが安心できる有利な資産」と答えた。1980年代後半には、日本企業が世界中に資本を輸出した。米国でも大量にビルを買うなどしたが、バブル崩壊後、米国企業への転売を余儀なくされた。
第四に、大財団や大企業の勝手な振る舞い。日本の金融制度は不健全で、銀行と大企業の間は共通の利害を持っていた。さらに政府も両者を強力に支持し、貸付の監督管理も甘かった。商業銀行などの金融機関だけではなく、日本の大蔵省の支援を受けた住宅金融専門会社も、土地投機で大量の信用資金を開発業者に貸し付け、融資コスト引き下げをはかった。1985年から1989年まで日本の実体経済は不振で、多くの大企業が、土地資産と金融資産への投機から巨額の利潤を上げるのに熱心となり、企業のこうした投機活動は地価上昇の大きな原因となった。
▽史上最大の不動産バブルの崩壊
|