(二)1974年までのベトナム歴代政権は、中国の西沙諸島の主権に対していかなる異議も唱えたことがなく、政府の声明・照会、新聞・地図・教科書は、いずれも西沙諸島が古来より中国の領土であったことを正式に認めている。
ベトナム民主共和国外務省の雍文謙副外相は1956年6月15日、在ベトナム中国大使館の李志民中国臨時代行と会談した際に、「ベトナム側の資料によると、歴史的に見て、西沙諸島と南沙諸島は中国の領土に属する」と表明した。ベトナム外務省アジア担当の黎禄氏はさらにベトナム側の資料について詳細に説明し、「歴史的に見ても、西沙諸島と南沙諸島は宋の時代から中国に属していた」と語った。
中国政府は1958年9月4日に声明(資料2)を発表し、中国の領海の幅を12海里とすることを宣言し、「同規定は西沙諸島……を含む中華人民共和国のすべての領土に適用される」とした。ベトナム労働党の機関紙『ニャンザン』は9月6日、一面の全文を使い、中国政府の領海の声明を掲載した。9月14日、ベトナム政府の範文同(ファム・ヴァン・ドン)首相は周恩来総理に照会(資料3)を送り、「ベトナム民主共和国政府は、中華人民共和国政府が1958年9月4日に発表した、領海の決定に関する声明を認め、これを支持する」、「ベトナム民主共和国政府は同決定を尊重する」と表明した。
ベトナム民主共和国政府は1965年5月9日、米国政府が確定した米軍のベトナムにおける「作戦エリア」問題について声明を発表し、「ジョンソン米大統領はベトナム全体と、ベトナムの海岸から約100海里までの周辺海域、中華人民共和国の西沙諸島の一部の領海を、米国の兵力の作戦エリアと規定した。これはベトナム民主共和国と隣国の安全を直接脅かしている」と指摘した。
ベトナム総理府が1972年5月に発行した『世界地図集』は、西沙諸島に中国名を用いた(資料4)。ベトナム教育出版社が1974年に出版した地理の教科書は、「中華人民共和国」(資料5)の中で、「南沙、西沙の各島嶼から、海南島、台湾島、澎湖諸島、舟山諸島……などに至る島々はアーチ状を呈しており、中国大陸を守る長城を形成している」と記述している。
ベトナム政府は自国の約束に背き、中国の西沙諸島を領土と主張している。これは「禁反言」などの国際法の原則、国際関係の基本的な準則に著しく背いている。
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