南京大虐殺記念館を見学する人々。
南京での日本軍の残虐行為に、当時南京にいた外国人のほぼ全員が憤りを覚えた。英紙マンチェスター・ガーディアン特派員のティンパーリは1938年執筆の『外国人の見た日本軍の暴行』で、「現代史上前代未聞の残虐記録」をつくったと日本軍を痛烈に非難。同書によって日本軍による南京大虐殺の真相が初めて完全な形で世界の人々に伝えられた。
76年前、ドイツの友人ラーベは他の各国友人と共に国際安全区を設け、日本軍の虐殺の刀から中国難民25万人の命を救った。著名な『ラーベの日記』には誰もがよく知る名前が出てくる。夏淑琴だ。夏さんの記憶によると、彼女はラーベの車でラーベの旧居(現在のラーベ記念館)へ連れて行かれた。下車するとラーベはコートで彼女をしっかりとくるんだ。「私の頭や体にはシラミがいたが、彼は汚がらずに抱いてくれた」。
日本の鹿児島県日中友好教職員会の鶴田恒郎会長は1987年以降、すでに11回南京大虐殺記念館を訪問した。「2012年には日本の中高生23人による見学を初めて企画した。生徒たちは歴史の真相を前に驚愕し、学校では学ぶことのできなかった歴史の知識を得た。われわれは南京大虐殺の犠牲者に沈痛な哀悼の意を表するとともに、両国の子々孫々の友好のために努力することを誓う」。
南京大虐殺記念館の朱成山館長は「南京大虐殺は中国も世界も大きく傷つけた。人々が南京大虐殺で犠牲になった同胞を思い起こすのは、共に歴史を省察することでもある。歴史の悲劇を繰り返させず、平和の陽光がいつまでも世界中を照らすようにすることは、全世界の人々に共通する心の声だ」と述べた。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年12月13日
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