このため中米英3カ国首脳はカイロ会談で、今後数世代にわたりアジア太平洋地域の平和・安全を確保するための長期的原則について踏み込んで話し合った。まさにこうした長期的原則に基づき、カイロ宣言は3カ国の趣旨が、日本が1914年の第一次大戦開始以降に勝ち取った、または占領した太平洋の全ての島嶼を剥奪すること、日本が中国から窃取した領土(東北四省、台湾、澎湖諸島など)を中国へ返還すること、日本は暴力および貪欲により強奪した全ての土地から駆逐され、適切な時期に朝鮮は自由になり、独立することを明確に宣言したのだ。カイロ会談でルーズベルトと蒋介石は、米国と中国は戦後インドシナその他植民地の独立を助けるべく共に努力するべきであり、タイは独立を回復すべきとの考えでも一致した。
1941年8月に米英首脳会談後に発表された大西洋憲章が対独作戦の目的を宣言し、欧州大西洋地域の平和・安全を確保する綱領的文書であるのと同様、カイロ宣言は対日作戦の目的を宣言し、アジア太平洋地域の平和・安全を確保する綱領的文書だ。1943年12月2日付のエジプトの仏語紙が社説で、カイロ宣言を「真の太平洋憲章」と呼んだことは、その本質を明確に指摘したものといえる。まさにカイロ宣言は中国が日本軍国主義による中国侵略の罪の償いをさせ、国家の領土の完全性と主権を守るための完全な法的根拠となり、日本に虐げられ、抑圧されたアジア太平洋地域の他の国々が自由と独立を実現するための保証となったのみならず、日本国民にも平和な暮らしへの希望をもたらし、それ以上にアジア太平洋地域の戦後の平和と安全の重要な礎となったのである。
三、日本政府にはカイロ宣言をしっかりと履行する義務がある
|