公開された資料によると、明治は日本最大の粉ミルクメーカーで、97年に貿易代理業者を通じて中国市場に進出した。2000年に中国での販売を開始し、07年に上海市と広州市(広東省)で貿易会社を設立し、また日本でパッケージされた輸入粉ミルクの販売をスタートした。だが日本で10年に口蹄疫が流行し、11年に東日本大震災が起こると、中国は日本からの粉ミルク輸入を禁止した。明治は11年、日本でのパッケージを放棄して、オーストラリア工場で中国市場向けに生産・パッケージされた粉ミルクに切り替えて輸入販売を続けた。同年12月には粉ミルクの「明治ステップ」から微量の放射性物質セシウムが検出され、40万缶を回収した。中国に輸入される明治粉ミルクは豪州産だが、消費者の明治離れが進んだ。13年8月7日には、明治をはじめとする外国産粉ミルクブランドが国家発展改革委員会の反独占調査を受け、12年度の売上高の約4%に当たる罰金が科せられ、後に処分が免除された。
▽分析 外国製粉ミルクにかかる圧力
乳業に詳しい王丁棉氏によると、明治の中国市場撤退の最大の原因は中国での経営が行き詰まっていたことだという。
王氏の説明はこうだ。明治は中国市場に進出して長年立つが、ミードジョンソン、ドゥーメックス、ワイス、アボット、ネスレといった海外粉ミルクブランドに比べて発展ペースが遅く、市場シェアも低い。特に販売ルートの構築において、ミードジョンソンやドゥーメックスが医療関連ルートをがっちり押さえており、明治はこの分野で出遅れていた。
この時期に撤退を決めた理由について、王氏は次のように話す。中日関係が緊張したため、いろいろな粉ミルク製品が選べる中で中国の消費者の一部が明治製品を買わなくなった可能性がある。また今年6月に国の各部門が乳製品企業を対象とした一連の調整措置をうち出したことも海外粉ミルクメーカーにとっては一定の圧力となった。
王氏は、「国の政策が国内の乳製品企業を支援し、外資系粉ミルクブランドが政策的に不利な状況の中で、ミードジョンソンやドゥーメックスといった海外ブランドは中国市場で大きなシェアを占めており、中国市場から撤退すれば巨額の損失が出る。だが明治の粉ミルクの中国市場シェアは上位10社に入らず、政策や環境が企業の発展にマイナスになる情況の下では、これ以上事業を続けることに必然性はない」と指摘する。
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