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王毅外交部長就任 駐日大使を経験

 

資料写真:福原愛選手と握手する王毅氏(2005年)

外交部(外務省)ウェブサイトの部長紹介はすでに楊潔チ氏から王毅氏に代わった。王新外交部長(外相)は同サイトの挨拶で「時間がある時にはこのサイトをよく訪れ、また貴重な意見を残してくださることを歓迎します」と表明。「中国外交部ウェブサイトは国内外の友人に開かれた窓でありたい。このサイトでは中国外交の政策、動向、知識、領事サービスなどの豊富な情報を得られるだけでなく、たゆまず発展・進歩し、明るい展望に満ちた中国を知ることもできます」としている。新京報が伝えた。

同サイトの部長活動紹介はまだ「2013年3月18日、王毅部長はファビウス仏外相と電話会談し、中仏関係など共通関心事について意見交換した」との1件だけだ。

■人物:知識青年として8年、外交部に31年

王新外交部長は「スター」外交官と言っていい。外交部入部から19年後に48歳の若さで外交部副部長(次官)に就任。2001年当時、外交部副部長5人中、最も若かった。王氏が一般の人々に本当に知られるようになったのは、6カ国協議の頃からだ。朝鮮半島の核問題をめぐる2003年8月の第1回6カ国協議で、王氏は中国首席代表として、一気に国際メディアの注目する「スター」となった。

「王毅氏はかっこよすぎる」。当時、6カ国協議を取材した多くの女性記者が、そっとため息を漏らした。3回の協議を経て、各国記者はみな「王毅氏は親しみやすく、上品で礼儀正しく、人目を引く」との印象を受けた。協議で王氏は原則を堅持するとともに柔軟で臨機応変でもあり、その抜きん出た調停能力は各方面から称賛された。

その後も王氏に対する世界の注目が薄れることはなかった。王氏は2004年から2007年まで駐日大使を務めた。王氏の大使時代についてあるメディアは「危難の時に命令を受けた」「氷を砕く苦難の三年」と形容した。

2008年6月から王氏は中共中央台湾工作弁公室(国務院台湾事務弁公室)主任を務めた。台湾メディアは王氏について「堂々たる容貌、さっそうたる風格」、人柄については「人情味があり、真摯に接する」「穏やかで近づきやすい」と評した。

王氏は1953年に、外交とは無縁な家庭に生まれた。北京出身で、かつて知識青年として黒竜江省生産建設兵団で8年間を過ごした。1977年に大学入試を受け、1978年に第二外国語学院に入学した。教師や友人によると在学中の王氏は思考に優れ、落ち着いた振る舞いで、国内外の重大事にとても関心を持ち、文才に溢れていたという。

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