釣魚島は中国の台湾島の付属島嶼だ。1895年、清政府は中日甲午戦争(日清戦争)に敗れ、不平等な馬関条約(下関条約)を締結し、「台湾全島および全付属島嶼」を日本に割譲することを余儀なくされた。
第二次大戦後の国際秩序を定めた法的文書であるカイロ宣言とポツダム宣言に基づき、日本は中国から盗み取った領土を無条件で返還しなければならない。これには当然釣魚島も含まれる。
冷戦初期の1951年、米国など一部の国々は日本と「サンフランシスコ対日講和条約」を締結したが、第二次大戦中に日本の侵略に最大の犠牲を払った世界反ファシズム戦争の重要な勢力であった中国はなんと締約国から除外された。「サンフランシスコ講和条約」は北緯29度以南の南西諸島は国連の信託統治下に置き、米国を唯一の施政当局とするとしている。南西諸島に釣魚島は含まれない。
1953年に琉球列島米国民政府は信託統治の範囲を勝手に拡大し、中国の領土である釣魚島をその中に組み込んだ。これにはなんら法的根拠がなく、中国は断固たる反対を表明した。
米国は1971年調印の「沖縄返還協定」で琉球群島と釣魚島の「施政権」を日本に「返還」した。中国政府はこの不法な行動に断固反対し、これによって釣魚島に対する中国の領土主権を変えることはいささかもできないと声明した。
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