■中国指導者が語る対外援助
50数年前、毛沢東氏は「960万平方キロメートルの土地と6億人の人口を持つ中国は、人類に対してより大きな貢献をすべきだ」と書いた。
30数年前、障ナ小平氏は「わが国は経済的に困難だが、それでも必要な額の対外援助金を捻出しなければならない。本当に発展してきたら、相当の援助をしなければならない。発展した後も、この点を忘れてはならない」と述べた。
10数年前、江沢民氏は「自国の経済が発展したからといって、あるいは自国の経済発展には先進国の資金や技術が必要だからといって、貧しい友を忘れてはならない」と指摘した。
2005年、胡錦濤国家主席は国連創設60周年首脳会議で「中国は低・中収入の発展途上国で、発展への道において依然多くの困難や試練に直面しているが、最大限の努力を尽くして他の発展途上国の発展の加速を支援する」「中国は世界各国と共に努力して、21世紀を真に『誰もが発展を享受する世紀』にしたい」と表明した。
60年来、中国の対外援助は風雨にも負けず、しっかりと歩み、中国の特色ある、世界の注目する発展の道に出た。
■無私の助け合い、60年間の対外援助は実り多い成果
新中国成立後、国内では復興を待つ物事が山積みだった。だが貧困と苦難を経験した中国人は、他の発展途上国の差し迫った必要をわがことのように感じた。1950年、中国は対外経済・技術援助を開始した。援助対象はまず朝鮮やベトナムといった社会主義国だった。
対外関係の発展に伴い、1955年のバンドン会議後には、援助対象はアジア・アフリカ20数カ国に拡大していた。1960年代、周恩来首相はアフリカ10カ国歴訪の際、中国の対外経済・技術援助の8原則を発表した。平等互恵、付帯条件なしを柱とするこの8原則は、発展途上国にあまねく歓迎され、中国の対外援助における基本的指導綱領となった。
1971年、第26回国連総会は、国連における中華人民共和国のあらゆる合法的権利の回復を求めた23カ国の提案を、圧倒的多数で可決した。23の提案国はすべて第三世界の国だった。賛成票を投じた76カ国のうち、58カ国は第三世界の国だった。
1955年、中国は発展途上国に対する政府無償援助と無利子借款援助の継続を基礎に、中国輸出入銀行を通じた政府援助的性質を持つ中長期低利優遇借款を開始し、対外援助資金源を効果的に拡大した。
21世紀に入ると、世界の開発問題はさらに先鋭化し、国連は「ミレニアム開発目標」を定めた。中国はできる限りの範囲で対外援助を一層強化するとともに、被援助国の貧困対策・民生・開発能力の整備への関心も高めた。2009年末までに中国は累計で120余りの発展途上国に経済・技術援助を行ったほか、30余りの国際・地域機関に寄付をし、その多国間援助活動を支えた。
■力を尽くして、被援助国の自力発展を促進
「力を量って行い、力を尽くして為す」----。60年来、中国は常に対外援助事業の発展と自らの基本的国情を結びつけ、対外援助の提供に当たっては被援助国の意見を十分に尊重し、その発展上のニーズと結びつけ、事業支援・物資提供・技術協力・人材育成などの形で援助を行ってきた。
商務部の統計によると、現在までに中国は農業分野で220件余り、工業分野で700件、経済インフラや社会公共設備分野で1000件余りの事業を支援し、被援助国の生産・生活環境の改善や経済発展を助け、その自力での発展により良い環境を創出してきた。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」----。中国は発展途上国の人材育成の取り組みを非常に重視している。1950年代から発展途上国に中国留学政府奨学金を提供し、被援助国のために技術人材も育成してきた。09年末までに中国留学政府奨学金の受給者は計7万人以上。発展途上国・地域のために育成した人員も計12万人に上り、これは経済、管理、農業、医療衛生、司法、教育、環境保護など20以上の分野、150以上の専門に及ぶ。
別の統計によると、現在までに中国は計69の発展途上国に対外援助医療チームを派遣した。累計で延べ約2万1000人の医療要員を派遣し、被援助国の延べ2億6000万人の民衆を診療した。54の医療チーム、約1300人の医療要員が48の発展途上国で活動している。(編集NA)
「人民網日本語版」2010年8月13
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