負傷して捕虜となり、罪を認める
小林陽吉さんの父親である小林清さんは1918年4月に日本で生まれた。1939年に日本の中国派遣軍独立混成第5旅団の一兵士として中国の地を踏み、1940年に膠東文登県で八路軍と戦った際、負傷して捕虜となった。
1945年3月、山東省莱陽市の膠東軍区政治部での記念写真。前列左から2人目が小林清さん(小林陽吉さん提供)
小林陽吉さんは言う。「父は戦闘中に飛んできた石が頭部に当たって気絶して倒れ、気がついた時には八路軍の担架に乗せられていた。八路軍は日本語の分かる政治工作幹部を通じて、八路軍は捕虜を優遇すると父に言ってきた。父は最初信じなかったが、いくつかの出来事を通じて考えが変わってきた。例えば、八路軍は傷を治療し、服を着替えさせてくれた。八路軍の服に着替えさせてくれた後、もともと着ていた服に入れていた物や小銭などを返してくれた」。
小林陽吉さんは記者にこう語った。「最初父は八路軍の友好的な態度に対し半信半疑で、隙を見て逃げようとしてばかりいた。日本人捕虜1人の逃亡を手助けしたこともある。でも時間が経つにつれて、八路軍は紀律が厳しく品行の良い軍隊であることに気づき、敬服するようになった」。
「中国共産党と八路軍の教育を受けて、父の世界観は変わっていった。八路軍と行動をともにする中で、次第に日本軍国主義が中国に対して行った戦争が正義ではない侵略戦争だったことに気づき、平和のために戦いたいと思うようになった」。小林陽吉さんは感慨を込めて、「捕虜になっていた間、父は次第に苦しみと絶望の中から目覚め、勇敢な反戦の闘士へと成長していった」と語った。
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