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北京週報>>中国と日本  
日本でそばを食べた中国人が感じた「和敬静寂」

わさびをすりおろす過程は非常に面白い。しかし、いつもあまり要領を得ない。すりおろしたわさびは、すべておろしの上にのせ、箸にとって、そばの上にすこし塗った後、つゆの中にいれてすぐに食べる。新鮮なわさびは非常に良い香りがし、刺激はそんなに強くない。手打ちそばは珍しく、機械製麺の均一な食感とは異なる特別なコシがある。京都のそばは非常に精緻でのどごしが良く、麺には店主の独自のスタイルやほのかな温かみが感じられる。食欲を瞬時にかきたてるものではなく、がつがつと一心不乱に食べほすような料理でもないが、ゆったりとしたペースで食べることができる。個人的には、特にそばを食べる時のリズムが好きだ。心、口、胃がすべて溶け合い、まるで軽快ですがすがしいワルツを彷彿させ、まったくだらだらしていない。

そばをほぼ食べ終えた頃、店主が熱いそば湯を持ってきて、それをつゆの中に注ぎいれる。これを、お茶のように飲み干せば、まったく浪費することなく、また別のそばの味わいを楽しむことができる。最後に、一滴も残さずそば湯を飲みほし、そば猪口が空になったところで、安心して「ご馳走様でした」と感謝の言葉を言う。

このような京都の伝統的なそば店では、時間を通常の時間として捉えていない。ここでは、時間を余した暇人にならなければならない。店に来ている客も皆、森ガールのような穏やかな雰囲気を醸し出している。店主も客もこの種のオーラに相互に惹かれあっており、客は一杯の麺を貴重なものとして考え、それに対して喜んで対価を払う。このような本場のそばの食べ方は、まさに食べ物の中の「和敬静寂」(茶道の心得を示す標語:主人と賓客が お互いの心を和らげて謹み敬い、場の雰囲気を清浄に保つこと)を最も体現している。(文:葉舒婧/ 編集MZ)

「人民網日本語版」2015年5月28日

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