本誌記者 繆暁陽
中国最初の王朝・夏の創始者である「禹王」がなぜ日本で受け入れられたのか?禹王遺跡が日本のどんな地域に存在しているのか?禹王文化が東アジア交流にどんな役割を果たしているのか?
5月9~10日、「東アジア文化交渉学会第七回国際シンポジウム」が神奈川県開成町で開催された。中国、韓国、欧米、それに日本国内から合わせて120人を超える研究者が参加した。学会では、中国の治水神・禹王研究を始め、東アジア地域全般の文化交渉に関わる研究成果が発表され、活発な議論が展開された。
「東アジア文化交渉学会第七回国際シンポジウム」に参加した研究者らの記念写真
禹王と開成町の繋がり
日本の象徴、神々が宿る霊峰富士山。その富士山に降り注いだ雨は一つの流れとなり酒匂川となって足柄平野を形成した。太古の昔より営々と続いた自然の営みの恵みである。その平野のほぼ中央に位置するのが開成町である。
神奈川開成町長の府川裕一氏の紹介によると、300数年前の1707年12月霊峰富士山が牙をむき、大爆発を起こした。開成町一帯は、大噴火の砂とその後の大洪水によって壊滅的打撃を受けた。先人たちは血のにじむような努力によって見事に再興させた。大災害の後に神社を建て、二度と洪水に見舞われないよう神を祀った。
その神が中国の治水神・禹王(大禹)であり、諱(いみな 真の名前)は文命である。禹王は、優れた治水技術者で黄河の治水に大きな貢献をし、中国最初の王朝である夏(か)を紀元前2070年に開いたと言われている。
足柄地域では、1726年創建の神禹祠(現在、福沢神社)及び関連の文命碑、文命祭など、一連の禹文化を現代も引き継いでいる。「中国の治水神・禹王がなんと酒匂川の治水の難所に祀られていたのである。足元に中国との深い文化のつながりを感じざるを得ない」と府川裕一氏は語った。
本誌記者の取材を受ける第七回東アジア文化交渉学会会長、法政大学教授王敏氏
禹王の調査のために、第七回東アジア文化交渉学会会長、法政大学教授王敏氏は何度も開成町、足柄地域に足を運んでいる。王敏氏は「古代中国史の主人公の禹王が日本にも渡り、千年以上も慕われてきた事実は東アジアの文化の連携を物語る史的且つ現代的価値高い事例だと、強調してもしすぎることはない」と語った。
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