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北京週報>>中国と日本  
甲午戦争120周年 中日両国はそれぞれ何を反省すべきか

今年は中日甲午戦争勃発120周年にあたり、この東アジアの2つの大国の歴史の命運を変えた戦争は中国の人民に無限の悲しみをもたらした。近ごろ、中国の歴史学界で甲午戦争の研究ブームが沸き起こり、うち、8月9日に中華日本学会、全国日本経済学会、中国日本史学会、大連大学が主催した「甲午戦争以来の中日関係」学術シンポジウムで、出席した専門家や学者は甲午戦争が近代の中国、日本、東アジアに与えた影響や現代の中日関係との関連を深く話し合い、各界で大きな反響を引き起こした。

甲午戦争の勃発から120年が経ち、このような大規模な討論をする必要があるかどうかを疑う人もいる。これについて、中国日本史学会会長・天津市社会科学院院長の張健氏は、歴史をかがみとし未来に啓発を与え、現在、中国人が甲午戦争を反省する必要があるだけでなく、日本人は更にこの時代の歴史を反省する必要があると見ている。

張健氏は開幕式であいさつし、次のように話した。甲午戦争は中国にとって深く考え、反省しなければいけないことである。19世紀末、中国の全体的なハードパワーは日本に劣らず、国土面積と人口の数は日本を大幅に上回っていた。経済力、生産力も日本より高かった。近代工業生産は日本よりやや劣ったが、北洋艦隊は日本の海軍と肩を並べることができた。しかし、どうして清朝政府の全軍は大敗したのか。考えの古さや制度の腐敗が失敗の主な原因である。日本が明治維新を行なった後、海上権益の意識を高め続け、海軍の軍備を強化し、「脱ア入欧」に努めているとき、清朝政府は生活が贅沢ですさみ、腐朽し没落しており、限りある資金を必要な国防の建設ではなく、西太后が資金を集めて60歳を祝うための頣和園の建設に充てた。日本が革新を大々的に進め、近代国家にまい進しているとき、清朝政府の統治は四面楚歌、今にも崩れ落ちそうな状態であるのに革新せず、向上に努めず、封建王朝の統治を続けるために多くの人民に配慮しなかった。日本政府が対外侵略の世論を作り出し、天皇と大臣が先頭に立って寄付し、軍人と民衆に国のために力を出し、国に身をささげるように働きかけているとき、清朝政府は経費を集められないだけでなく、地方政府がそれぞれ政を為し、財を守り私服を肥やし、国家概念や民族意識の話どころではなかった。

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