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北京週報>>中国と日本  
「理解を求める」日本の別の企て

日本が1日、閣議決定という「近道」方式で集団的自衛権の行使を容認したことは、大きな議論を招いた。日本では民間組織、労働組合、および学者、作家など民衆が数千人規模のデモを組織し、政府が国民投票を経ずにこのように重大な政策変更を推し進めることに反対の声を上げた。東アジアのいくつかの国は、集団的自衛権の行使容認を強行する安倍政権の意図に疑義を呈し、批判しないわけにはいかなかった。(文:蘇暁暉・中国国際問題研究所国際戦略研究部副主任。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

日本政府は問題視する声に耳を貸さず、行使容認の数日後には安倍晋三首相と小野寺五典防衛相がそれぞれ外遊を始めた。外遊の極めて重要な任務の1つが、まさに集団的自衛権の行使容認について理解と支持を求めることだ。

日本の両政府要人の活動が、中国を念頭に置いていることはとりわけ明らかだ。

第1に、訪問の時期から見て、日本は中国国民の感情を無視している。7月7日は「盧溝橋事件」77周年記念日だ。1937年のこの日、日本は対中全面侵略戦争を発動し、中国民衆に多大の苦難をもたらした。戦争を始めた側である日本は本来、この日を銘記し、自らを省み、懺悔すべきだ。だが日本の首相と防衛相はその正反対に、この日を選んで外遊し、集団的自衛権行使容認の意義を説明した。そして集団的自衛権の行使容認によって、日本が将来公然と武力を使用し、海外で「合法的」に兵を用いることができるようにする扉が開かれたのだ。これについて「説明を行う」ことが、中国を含む戦争被害国の人々の心の傷口に塩を塗る行為となったことは間違いない。

第2に、日本は「平和的イメージ」を偽造する手を使って反省を回避している。中国を含むアジア諸国は日本に再三反省を要求しているが、日本のやり方はその反対に侵略の歴史を極力覆い隠し、真っ白にするというものだ。あくまでも悔い改めない日本は、今回再び「パフォーマンス」に力を注いだ。安倍氏はオーストラリア訪問時の演説で、しらじらしくも歴史についておわびの意を表し、「20世紀の歴史が繰り返されるのを許すことは永遠にない」と厳粛に誓った。承諾と同情はだまし取れても、悔い改めようとしない事実は変らない。

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