中国メディアが見る日本
このご時勢、日本映画を見ることは、感情や理性の面で一種の試練と言えるが、先日見た辞書作りに没頭する人々の姿を描いた「舟を編む」という日本映画は評判どおりの良い映画だった。リアリズム的な作風で撮られたこの映画は、真面目だが不器用な主人公が日々の暮らしや仕事を通して成長していく姿が見所であり、大家や同僚、上司、猫との関係性のほか、恋愛、結婚、一風変わったスタイルなどが描かれる。映画全体に漂うのは淡々としたユーモアといくばくかの悲壮感だ。このような地味な題材を扱った映画は、大きな儲けを期待することはできない。文化に対する強烈な思いや関心がなければ、撮り続けることは難しいだろう。恐らく監督がこの映画を撮ろうと思った衝動は、辞書への敬意や愛着から来ているのではないだろうか。新聞晨報が伝えた。
このような映画はどの国であっても国家のイデオロギー推進のための映画と見なされるだろう。なぜなら、この映画は民族文化の保護や繁栄を賛歌したものであり、文化に携わった無名の人々に敬意を示すために作られたものだからだ。
同時にこの映画は現実にも目を向けている。インターネットが伝統的な出版界に与えた大きな試練と、辞書編纂が直面する様々な苦境の中、3世代にもわたる年齢が異なる職員たちが最も原始的な方法で新しい言葉や変化した言葉を見つけ出し、その意味を最も正確な解説をつけて辞書の中に取り入れていく。そして、十数年という歳月を経て、ついに新しい辞書「大渡海」は出版される。登場人物たちが辞書作りのコンセプトとした「辞書は言葉という大海原を航海するための舟」という下りが非常に印象深い。1つの民族の母国語に混乱が生じれば、人々は行くべき方向性を見失ってしまう。黙々と編纂作業に取り組む人々に、舟を編むという辞書作りの仕事をやり遂げさせたことによって、この映画は世の人々にこの世界では真面目に黙々と事業に取り組む人々がいなくてはならないことを告げようとしている。イデオロギー映画を如何に成功させるかといった点で、我々はこの映画から学ぶべきところがあるはずだ。
日本映画を見ることで、自然と日本社会や日本の人々を理解することができる。日本人の仕事に対する真面目な態度や、何事もおろそかにしない物事の取り組み方、資源節約のレベルを見ると、尊敬せずにはいられない。一方、中国で見られる数多くの無駄や、目の前の利益を安易に選んでしまう状況を見ると、憂慮の念を覚えずにはいられない。これも映画ファンが映画を見た後に得ることができるメリットといえるだろう。映画は我々に反省と叱咤激励を与えてくれるものだ。映画祭におけるこうした効果を決して低く見積もってはならない。どんな民族であっても、不足している部分はあり、異なる国の映画を見ることで反面教師として学ぶことができる。国際文化都市とは異なる文化の交流や衝突の中でゆっくりと形成されていくものだ。我々が学ばなければならないのは、民族の感情や尊厳と、他民族の良いものを切り離して考え、素直に受け入れることだ。(編集MZ)
「人民網日本語版」2014年6月25日
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