以前、中国出版界で、氏の作品の著作権を奪いあうという騒動が起きたことがある。晩年に差し掛かっても昔と変わらない創作エネルギーや創作意欲を持っている渡辺氏に感服する出版社の編集者は少なくない。たとえば、『鈍感力』をいう言葉は、もともと日本語にあったわけではなく、氏が発明した『新語』で、同書が出版されたとき、氏はすでに70歳を過ぎていた。
○中国文化を愛し、中華料理を愛した渡辺氏
SNSの渡辺淳一ファングループでは、氏のことを「老渡」の愛称で呼ぶ中国人ファンも多い。「老渡」は旅立ったが、彼と中国文化の普及をめぐる素晴らしい数々のエピソードは今も残されている。
碁をさし、書道をたしなみ、上海蟹に舌鼓を打ち、紹興酒を味わう--。これらはすべて、氏が晩年に中国を訪れた時の「お楽しみ」であった。中国の出版業界関係者によると、「老渡」は普段、口数は少ないが、中華の美食を目の前にすると、自然に子供のような笑みが顔一面に広がったという。
曹楊氏は、「ある時、渡辺先生は、たっての希望で、上海のリニアモーターカーに乗られた。 車両のスピードが極限に達したとき、氏は記念に写真を撮ってくれと私におっしゃった。氏はいつも、中国に関係が深い、目新しいものに接すると大変喜んでおられた記憶がある」と当時を回想した。
渡辺氏は晩年、日中の文化友好交流に大変力を注いだといわれる。複数の文芸評論家は、「先生は、他の数人の日本人作家と同じように、中国人のために現代日本文学の窓を開けた人物だ」と評価している。(編集KM)
「人民網日本語版」2014年5月6日 |