氏のファンは、大衆文学愛読者からハイソサエティな外国通の学者まで様々だ。氏の作品から、文学的な面白さを感じる人もいれば、心理学的な面白さを感じる人もいる。「これこそが日本の生活哲学だ」と評価する人もいる。
文化学者の張頤武氏は、「渡辺氏が描く複雑で繊細な感情は、日本文化特有のものであると同時に、グローバル性の高い要素も含まれる」と評している。
○「人間性」をとことん追求、「官能小説」とは一線を画す
「渡辺氏の作品即売サイン会には決まったパターンがある」と記憶している中国人読者もいるだろう。まず、氏が携帯している特製の筆で恭しく署名をする。次に、アシスタントが表紙カバーに印章を押す。最後に、背筋を伸ばして読者に深々とお辞儀をする。
曹楊氏は、「毎回お決まりの一連の動作によって、読者は、極めて厳粛で謙虚で礼儀正しい文芸作品に対する氏の姿勢を感じ取る。それは、ただの『官能の文学』とはかけ離れたものだ」と指摘した。そして、「個人的には、医師としての経歴をかんがみるに、氏の創作目的の根源は、極限状況における人間性を描写することであり、『三俗(卑俗、低俗、俗悪)』や『官能』とは一線を画するものだ」と続けた。
渡辺氏は晩年、中国人読者に対し、文学者としての作風について、「心の底から湧き出るものを素直に表現し、隠し立ては一切しない」と説明したことがある。これは、現代文学の後継者に対する貴重なアドバイスとなるであろう。
また、氏は、中国のメディアに対して、「晩年にいたるまでずっと、老人の性愛というテーマについて追及してきた。ここでいう性愛には、心理的なことや生理的なことなど、さまざまな要素が含まれている。私は皆さんに、60歳になっても70歳になっても、人にはそのような要求があることを伝えたい」と述べた。
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