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北京週報>>中国と日本  
旧日本軍が敗戦後、公文書を廃棄したのはなぜか?

 

寛容は一種の美徳だと言われるが、無節操な寛容は間違いだ。中華民族は寛大な民族であり、人徳を高く持ち義務を成し遂げることを重んじる。また一方で、暴力に屈せず、いつも自彊不息の精神を保っている。中国人は平和を愛し、平和を大切にし、平和のありがたさを知っている。しかし一方で、平和は奮闘の末に得られるものであり、平和には犠牲がつき物だということも知っている。

日本の軍国主義は中国を含むアジア諸国、そして欧米各国に災難をもたらし、日本の国民にも痛みをもたらした。だからこそ第二次世界大戦後、日本人は教訓をくみ取り、平和憲法を施行し、平和主義が社会の主流となった。しかし時は流れ、今の日本では右翼勢力が歴史を否定し、侵略を美化し、国民保守主義が台頭し、ファシズム軍国主義という「ヴォルデモート」が蘇り、今にも動き出そうとしている。

前人の失敗は、後の人にとって戒めとなる。歴史を鑑とし、警戒を高めなければならない。当時、反ファシズム統一戦線に参加した全ての国家がそうするべきだ。今回公開された公文書の中には、旧日本軍が連合軍の捕虜を虐待した証拠や、朝鮮の慰安婦を強制連行した史料なども含まれる。歴史を忘れてしまえば、悲劇の再演を招く可能性がある。某国は今も冷戦型思考を捨てきれず、イデオロギーで線引きし、仲間を集めて平和的に発展する中国に対抗しようとしている。その仲間の中に、かつての宿敵がいることも忘れている。

日本の右翼勢力と、中国に敵対する一部の国に、2つのことわざを送りたい。「今日踏み台だったものは明日には障害物になるかもしれない」「相手をぶつけるつもりで石を持ち上げたのに、自分の足の上に落としてしまう」。(編集SN)

「人民網日本語版」2014年4月30日

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