繁栄と民度は深い関係
張択端の時代はなぜそれほど繁栄していたか?それは、宋の時代が文人(学問を修め文章をよくする人の意)化時代で、経済や文学、芸術が発達していたからだ。また、それが民間へと普及し、文化という分野で非常に理想的な状態だった。しかしそうなると、周囲の野蛮な国から見ると、国力が弱く見えた。実際には、宋の時代、国力が弱かったわけではない。もし、周囲の国も、文明的であったなら、それが問題になることはなかっただろう。
日本はいつの時代が良かったのだろう?私は江戸時代だと思う。江戸時代は、統治階級を武士化することなく、文人化の時代だった。そして、儒教を通して、戦争時代の武士達の振る舞いや思いを改善しようとした。当時、「士農工商」という身分制度があり、武士は模範を示す必要があった。中国では、「江戸時代」というと「武士」を連想することが多いが、実際には当時の日本は「文人化」の道を歩んでいた。
中国の文化をいかに継承するかは、政府の責任であって、私がどうこういうことではない。よく分からないが、「文化の発揚」となると、海外で発揚することばかりが取り上げられるが、国内では何が行われているのだろう。国民の民度が高ければ、「発揚」など必要ないのではないだろうか。
私は、中日はもっと文化交流を行い、中国人は日本人について、一方の日本人は中国人についてもっとよく知らなければならないと思う。
◎李長声:在日中国人作家。日本の出版文化史を研究する専門家で、吉林人民出版社が発行する雑誌「日本文学」の副編集長を務めた経験を持つ。1988年に来日し、日本の出版文化史を専門に学んだ。著書には、「桜下漫読」や「日知漫録」、「東游西話」などがある。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年4月14日
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