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北京週報>>中国と日本  
野島剛氏、日本人が探り当てた「知られざる故宮の物語」

 

 

 2007-2010年まで朝日新聞の台北特派員として台北に3年間駐在した野島剛氏(現朝日新聞国際編集部次長)は、仕事柄、台湾と北京の故宮博物院を訪れる機会が多くあり、歴史の中に埋もれた故宮の秘密を探り当てた。野島氏は著書の執筆にあたって、両故宮の歴代院長を取材してきた。台北では、周攻鑫院長に粘り強く交渉し、故宮の文物倉庫への見学を特例として許されたり、大陸では、戦争当時に北京故宮博物院の文物が台湾に運ばれた道をたどり、当時の事情を知る人々を尋ねてまわった。野島氏の著書の「ふたつの故宮博物院」(新潮社)というタイトルを見ると、故宮を切り口にした中国古代文化を語る本と誤解されがちだが、野島氏は、「これは政治に関する本」と明確に語る。野島氏は著書の中で、引き裂かれた2つの故宮を通して、中国近代および現代史の政治の変遷をつづっている。北京晨報が伝えた。

 以下は、野島氏のインタビュー内容。

 ■日本人の見方:文物の象徴的存在である故宮博物院

 ---- 近年、中国を題材にした本を執筆する外国メディアの記者は少なくない。通常1つの切り口から、異なる視点で中国についてつづっているが、故宮をテーマに本を書こうと思ったのはなぜか?

 私は日本人。日本人は私を含め、中国の文化、文物について元々非常に大きな興味を持っている。これは、崇拝に近い感覚と言える。我々にとって、故宮は非常に象徴的な場所で、中国の文物を見るなら、必ず故宮に行かなければならないと考えている。もちろん、他の博物館にもさまざまな価値ある文物が展示されているが、我々の感覚では、故宮は特別な場所であり、非常に神秘的な場所だ。当時故宮について書こうと思ったのは、台湾に駐在していたことが関係している。台湾の与党が変わったことで、台北故宮博物院の立ち位置にも変化が生じた。日本人は基本的にこのような故宮を取り巻く変化について全く知らない。日本のメディアや外国のメディアでさえ、このことを報道したことがない。この本を執筆した最大の理由は、台北故宮博物館に生じた変化を報道したいと思ったことによる。しかし、この期間の事情だけを1冊の本にすることはできない。そこで、時代背景を清朝末期から現在までに広げ、故宮の文物や中国人が文物のために行ってきたことを書くことにした。この内容には現代の中国文物を取り戻そうとする現象や、故宮そのものに生じた変化も含まれている。

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