◆ソフトパワー、国のイメージ
中国とアフリカの交流の歴史は、少なくとも明朝の「鄭和の西洋下り」まで遡ることができる。1960年代より、中国と独立後のアフリカ諸国の交流が頻繁になった。中国は自国がまだ苦しい状況の中、アフリカに大量の援助を提供した。そのうちタンザン鉄道は、中国の援助の象徴的なプロジェクトで、中国のアフリカにおける「名刺」となった。この援助により中国はアフリカ諸国で広く支持を集め、良好な歴史的イメージを残した。ただし、中国はこれにより大きな犠牲を強いられた。
アフリカ人は自国の緩慢な発展と比べ、中国の台頭に驚いている。中国のカンフー映画は、昔からアフリカで流行している。中国の現代ドラマも近年アフリカ市場でシェアを占め始めている。中国語が徐々に、アフリカの大学の教室に進出している。
しかし中国のマイナスイメージも、発展と共にアフリカに浸透している。中国人とアフリカ人は文化面で多くの異なる点を持ち、一部の対立の原因になっている。そのうち最も際立っているのは労使関係の対立、不法移民問題、環境保護問題だ。食事についてもそうで、「中国人は何でも食べる」は、アフリカ人にとっての中国の独特なイメージになっている。
明朝の頃よりアフリカ諸国との交流を開始した中国と比べ、日本は新参者と言える。アフリカ諸国は1960年代になり初めて、日本経済の高度発展の中、綿製品輸出の重要な貿易パートナーになった。日本はその後の産業構造の問題により、2回のオイルショックを除き、アフリカでの経済的利益を減少させた。(編集YF)
「人民網日本語版」2014年3月12日 |