中国の3500万人の戦死者、南京大虐殺の30万人の犠牲者について、中国はユダヤ人のように一人一人の氏名を列挙することができない。これは残念なことだ。中国がよく使う「実用的」な歴史観は、余りに多くの政治的任務を担っている。抗戦の勝利後、中華民国政府から中華人民共和国政府にいたるまで、さまざまな外交戦略に関する考慮により、日本の侵略に対する調査と記載が迅速に進められず、重視されなかった。これにより日本の戦争の罪に対する感情的な宣伝が多くなり、事実と数字の正確さが失われ、規範的かつ荘厳な国家級の正式な記念活動がないがしろにされていた。現時点で、12月13日に警報を鳴らすのは南京市だけだ。
中国は今日、国際的な慣例に合致する、国内外の中国人の感情に配慮した重要な一歩を踏み出した。命の最大の意義は、一人一人の個人にあり、それは3000万人であろうと、30万人であろうと、3人であろうと同じだ。南京大虐殺は近現代の中華民族の苦難の縮図、歴史の記憶の最も重苦しい1ページ、天理・倫理の重要な一章だ。犠牲となった国民への態度は、一つの国家の文明の程度、一つの民族の生活への態度を反映する。民族が歴史を胸に刻むことを重視するほど、国は国民一人一人の価値を尊重するようになる。
ユダヤ人の努力により、「アウシュビッツ」という言葉は地理と事件の含意を超え、文明時代のホロコーストの象徴になり、人類の苦難に対する反省とヒューマニズムのさらに深い認識を含むようになった。南京大虐殺の犠牲者の不幸は、同じような価値に変化されるべきで、日本の中国侵略戦争に対する人々の理解をより全面的に深め、日本の戦争の罪を歴史の恥辱の柱に打ち付けるべきだ。これは中国のアジア・世界の平和と文明に対する重大な貢献となる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年3月11日 |