■ドキュメント:青島に二度目の命を授かった
市赤十字会によると、大工園さんには妻も子どももいない。2003年頃、日本から青島に来て、日系企業で海外国際貿易部長を務めていた。「当時大工園さんは、多くの街を訪れたが、青島だけを愛している。一生青島で過ごしたい、と語っていらっしゃいました」。市赤十字会献血・骨髄移植ドナー・献体弁公室の張少芹・処長によると、2007年に張処長は自ら大工園さんのために献体ボランティア同意書の登録手続きを行った。大工園さんは中国語ができず、通訳を通じ張処長に、青島が自分に第二の命を授けた。自分も最期は青島に貢献したい、と伝えた。
青島早報の当時の大工園さんに関する報道によると、大工園さんの献体の願いは、2006年4月1日に遡る。友人と会食中だった大工園さんは突然、めまいを感じ、気を失った。友人がただちに大工園さんを近くの病院に搬送した。検査の結果、大工園さんは動脈瘤破裂の可能性があり、腹腔内に血液がすでにたまっていた。医師による緊急手術の末、当時72歳だった大工園さんは無事、この難関を乗り越えた。
「青島の方々に救って頂いた。新たな人生を授かった。ずっと中国、青島に留まることができたら、と願います」。大工園さんは当時このように語った。
高齢になるにしたがい、大工園さんの健康状態は悪化した。昨年から、大工園さんは青島ベリア国際医療センターで治療を受けた。「2カ月前、大工園さんの病状が悪化し手術が必要になった際、大工園さんは私と相談しました。大工園さんは青島に親戚はおらず、日本にも家族はいない。私どもセンターに対し大工園さんは、手術同意書へのサイン代行と、献体に関する連絡についてお願いを託されました」。劉詔氏は記者に、大工園さんが自らの委託書に、とりわけ献体の件について劉さんに任せると記した、と述べ、「大工園さんの願いを必ず叶えたい」と語った。(編集HT)
「人民網日本語版」2014年3月5日
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