救出後に付さんは、もしもの事があればどうなっていたかを思った。「死ぬなら死んでしまうだけ。河南の人達の顔に泥を塗らなかったかな」付さんは笑って言った。
「誰も怖くないなんて言わない。それはおかしい」。妻、子ども、実家には両親と妹がいる付さん。幸いにも、彼は無事助け上げた。
かつて一人の在日韓国人留学生が泥酔しホーム下に転落した男性を救うために列車にはねられ、その後駅構内に彼を追悼する記念碑が設けられたことを知っている付さん。「人々は私がした事をいつか忘れるかもしれないでしょうが、尊い命を救ったと自分には分かっています」
■事もなげに、誰にも言わなかった
男性を救出した後、付さんも自分のホームに戻り、電車で通勤した。「充実感でいっぱいだった。駅員さんが駆けつけ、男性も安全だった。名乗ろうとは思いませんでした」
夜に帰宅してこの事を妻に告げると、「妻は人を助けるのは良いこと。でも些細なことだし、人に言うこともない、と言いました」
しかし、その後人捜しが始まった。北多摩西部消防署は助けた人を探し、駅にポスターを掲示した。日本のマスコミも報道した。
時事通信は付さんの話を引用し、「人を助けるのは当然の善意で、名乗る必要はない」と思ったが、「日本人の在日中国人に対する印象を変えるため」、1カ月以上経ってから、名乗ることを決めた、と伝えた。
「妻が一度、友人とこの事を話したことがありました」。付さんによると、妻の友人は、この時期に、付さんの行動は多くの日本人に、中国人はとても善良で、勇敢だと感じてもらえる。両国の民間交流にとっても非常に有益だと語った。付さんはついに、関係者に自分が皆さんが探している人、と名乗り出た。(編集HT)
「人民網日本語版」2014年1月28日
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