参拝の理由に根拠はない
第三点は、国際的正義と公理という視点から見て、日本の政治家が靖国神社を参拝する理由には根拠がない。国際関係の面において、日本は一方的に自国の民族文化の特徴を強調すべきではなく、国際的に通用する道義や是非の基準に基づいて戦争被害国との関係を処理すべきだ。靖国神社は中国の人民英雄記念碑やモスクワの「赤の広場」の無名戦士の墓、米国のアーリントン墓地とは違うということだ。と言うのは、中国、ロシアの戦争墓地で弔っているのは国土防衛戦争(つまり反侵略の正義の戦争)の犠牲者であることはとりあえず置くとして、アーリントン墓地でさえも靖国神社とまったく異なる。なぜかというと、第一は同墓地には靖国神社と違って、極端な宗教性がないこと。第二に、アーリントン墓地に静かに眠っている米国軍人は生前に「アーリントン埋葬」という夢を全く抱いていなかったことだ。一方、対外侵略のために出征した「大日本皇軍将兵」は「靖国で会おう」と約束し合った。この意味から見れば、靖国神社は対外侵略戦争中の軍人精神の拠り所であり、あるいは軍国主義を涵養する温床だったと言って間違いない。第三に、アーリントン墓地には遊就館のように奴隷制度や朝鮮戦争、ベトナム戦争の「正当性」をアピールするための歴史資料館がないことだ。従って、日本の政治家が国際社会に靖国神社を通常の意味で「無名戦士の墓」として受け入れ、あるいは、これを理由に、政界要人の参拝を理解してもらうことは不可能だ。
伝統的な神道理念と背馳
最後に、首相の参拝は「文化的伝統」「信仰の自由」「国民の意志」という言い訳も、全く成り立たない。靖国神社が侵略戦争中に戦死した兵士に対する一方的な祭祀は、日本の伝統的な神道理念と祭祀の習俗に背馳している。1980年代中ごろ、すでに日本宗教文化研究の権威・中村元、梅原猛両氏は「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」に参加した際、明確に反対の態度を表明している。今世紀に入って、小泉純一郎元首相が何度も参拝していた時期に、梅原氏は2004年、雑誌『世界』9月号に掲載されたインタビュー「靖国参拝は日本の伝統から逸脱している」で、宗教学と民俗学の立場から首相の靖国参拝の不合理性について解説している。さらに、1979年靖国神社にA級戦犯が合祀された後、天皇自身が二度と靖国に参拝に行かなくなったのも首相の参拝の不合理性を説明している。明らかに、日本の政治家が天皇と多くの国民の意向に逆らって、「民族文化の尊重」と解説することはできず、むしろ故意に政治的なショーをして見せ、対外的には隣国を刺激し、対内的には人心を籠絡し、大和民族主義の優越感を示すだけだと言えるだろう。
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