Imprimer cet article

Commenter cet article

北京週報>>中国と日本  
「戦争の記憶」と真摯に向き合う研究者 山口直樹さん

 

第89次第12回「放射能と原子力を考える日中サイエンスカフェ」新藤兼人監督『第五福竜丸』(1959)上映後

 現在、国としてそういう人を育てようというのが全く見えないですし、重要なのはそういう人たちを評価するという価値基準がなければ、みんなやろうとしないことです。みんな無駄なことをやりたくないという意識がどうしても芽生えますから。でも、本当は必要なことだと思うのですが。

 ----- 確かに中国語で発信できて、地元に影響を及ぼせるような人の数が現状ではあまりにも少ないですよね。国のバックアップがあれば、全然違うでしょうが。

 かなり違いますね。研究所があれば、私のような資料が多い人文系の研究者の資料の保存場所が確保できるというメリットもあります。それだけでも助かります。例えば、北京であれば給料も研究費も、日本国内よりも少なくていいので、コスト的にも安く済むはずです。これは私だけが言っているわけではなくて東京大学の伊藤乾氏も「日本にノーベル賞が来る理由」(朝日新書2008)のなかで「国の予算の1パーセントのさらに一万分の1、つまり1ppmは、8300万円程度になります。これだけあればこぶりながら日本の賃金で「教授、助教授、講師、助手とそろった大学、研究所「一講座」を一年間維持できます。(中略)このような国際的な「学術公共事業」に道をひらけば、世界と日本の関係ははっきりと変わります」(186頁)と述べています。私はこうした国際的な学術公共事業という発想が、中国に対してこそ必要だと考えているものです。だから北京に日本政府の研究所をと提案したのです。国内むけの箱物をつくる利益誘導型の公共事業だけをやっていていい時代ではないと思います。

 例えば、第一線を退いた立派な業績を持っている教授や研究者に、大学退官後に研究所に来てもらうというようなこともありだと思います。また若手のポストドクターもきてよいことにする。場合によっては、日本文化など中国人の教育にもあたってもらう。このようにすれば、ちゃんとノウハウや知識が活かせますし、社会的に資源の損失にならずに済みます。せっかく自分の専門を勉強したのに、それを活かせる場がないという人は非常に多いです。そういう人をそのまま埋もらせてしまったら、それは日本の社会的損失につながります。そういう人たちを日中相互理解のために生かし活躍する場を国が作るというのは意義があることだと思います。

 中国は隣国なので、日本における中国研究というのは伝統的にかなり厚みがあるのですが、空白領域というのもまだいろいろあります。私も中国に来て10年経つので、何が研究されていて、何が研究されていないのかということがある程度わかってくる。日本では研究されていない空白領域も結構あるのだということです。

 例えば空白領域の例をあげると、恐竜の化石研究などがあります。中国の化石研究というのは非常に層が厚いです。ゴビ砂漠や遼寧省など、恐竜の化石がいっぱい発見されていますし、世界中から恐竜の化石研究の研究者がたくさん集まって来ています。ただ、こういうことは、一般の人はほとんど知りません。実際、日本人にもこの分野で中国に留学をしに来ている地質大学の留学生の女性がいます。はたしてどれだけの人がそういうことを知っているかということですね。そういう人材は、非常に貴重ですし、そういう人をもっと活かすべきだと思います。また私の専門の科学技術史や科学技術社会論なども現代中国のものに関しては、日本では空白だらけです。逆にいえば、若手でもこういう分野を真剣にある程度時間をかけて研究すれば、すぐに研究の最前線に躍り出ることができるということです。現在、あまりにその分野で戦略がないですし、もっとそういう研究者に関心を持つところからはじめる必要があると思います。

 ----- 日本はなぜこの方面で遅れているのでしょうか?
 まずはどういう人が何を研究しているのかということを把握することから始めないといけないといいました。日本政府は、今は、そういうことすら関心がない状況です。基本的に、日本政府は、日本の国外に出た人は日本人としてみなさないというところがあります。

 中国の場合、国外に出ても、華僑であり、それも中国人だといって囲い込むのとは対照的です。中国政府は、例えば米国で専門留学をしている人から現地で生活している人にしかわからないような情報を色々と聞いてその情報を吸い上げています。このように政府には世界各国の情報が入ってくるようになっています。その上で、様々な対策を練っています。日本の場合は、政府がまったくそういうことに関心がないのが実情です。実際、日本に行っている中国人留学生も、日本について中国政府から色々と聞かれていて、組織的な留学生の集まりなどもあるようです。また海外で学位をとった人を優先的に大学に教授としてポーンと迎え入れたりすることがありますね。

 日本では、こういうことはほとんどないですよね。むしろ海外とくに中国に留学すると日本での自分の居場所がなくなるのではないか、そんな恐怖すら感じてしまったりする。中国に研究留学してしまったら自分は、日本で評価されないのではないかと若い人が感じたとしてもそれは、単に自己責任の問題として片付けられないものがあると思います。実際、日本社会の評価がそのようなものであり続けてきたわけですから。中国の日本人の集会の場合は、あるとしても、任意のちょっとした集まりであったり、あまり深い話にはなりません。雑談のようなもので終わってしまう。ある意味、社交の場みたいものなので、海外情報の収集という角度からすると、国のスタンスがまるで違います。だから私のような民間の人間が、北京日本人学術交流会という会を立ち上げてそういう場をつくらざるを得ないという状況なのです。

 ----- アメリカの中国に対する関心と情報収集も、日本とはまるで異なりますね。
アメリカは今中国に対する関心が非常に高くて、中国の大学に半年ほど留学しなければいけないというカリキュラムが組み込まれている大学もあります。とにかく、学生に中国語をちゃんと勉強させようとしています。

 私がいた東北大学では中国に留学する日本人が非常に少なくて、中国に留学したいというと、はいはいと二つ返事ですぐに決まってしまったと言っていました。中国では魯迅が留学した大学として有名なので、中国人留学生は多いのですが、その逆はあまりにも少ない。あまりにもアンバランスすぎるのです。日本の大学では、早稲田や同志社は、ダブルディグリーの制度を北京大学と共同してつくってかなりの学生を北京大学などで学ばせておりがんばっている方だと思います。アメリカの中国に対する興味は深いですし、中国研究の水準もおおむね高いものですね。それは、米国は今後、中国と二大大国になるという想定をしているということもあり中国の研究を重視しているということもありますし、またこれまでの研究の蓄積もあります。

   前のページへ   2   3   4   5   6   7   8   次のページへ  

查查日语在线翻译
查查日语在线翻译: