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中国研究者、矢吹晋氏を招いて |
高橋敏夫氏が、著書「ゴジラの来る夜に」のなかで優れた怪獣映画というのは、かならず「怪獣が現れた、怪獣を殺せ」ではなく「怪獣が現れた、人間が変われ」という構造を持つものだと指摘しています。ウルトラマンにもそういう物語がいくつかあったということですね。通常人は、怪物を殺せば、撃退すればそれで問題は解決するように思いますが、実際は根本的な問題は、人間がつくりだしており、人間がかわらない限り、根本的な問題は解決されず、さらに多くの怪物を招き寄せてしまうということがある。
TV版「妖怪人間べム」においては、最初は親切そうでべムたちを歓迎していた村人たちもべムたちが、妖怪人間であることを知るやいなや態度を急変させます。
べムたちが、特に悪いことをしたというわけではないのですが。村人たちがべムたちを取り囲んだのは雨の日の夜のことでしたが、村人たちは口々に「お前たちのような化け物が生きていける場所などあるわけないのだ。」といっていました。そして最後には「殺せ!殺せ!」と叫びます。こうした「怪物を殺せ!」という声は、今後も世界で高まっていく可能性は否定できません。たとえば、日本の「在日特権を許さない市民の会」いわゆる在特会などは、「妖怪人間べム」にでてくる村人たちによく似ています。
ゴジラが、最初に東京に現れたのも夜でしたが、ゴジラが来る夜は、妖怪人間たちの夜にも通じています。
ゴジラや妖怪人間など非人間としての怪物たちは、私たちに思考をせまってきますが、私は、彼らの出してくる問いをより深く考え、応答する必要があると感じたのです。
「ゴジラ」(1954)の冒頭部分では、ドーンドーンというゴジラの足音が、鳴り響いていました。まだ、誰もゴジラを見たことがないそのような時点でゴジラを音だけで見事に表現しているといっていい場面です。私は、いつのころからかそのゴジラの足音を友の足音として聞いている自分に気がついていました。私は夜のなかでゴジラの足音を友の足音として聞きながら、いつのころからか怪物的科学史家になりたいと思うようになっていました。そうはっきり意識したのは、北京に来てからのことですね。
■日本政府への提言、「北京に中国研究所を作り、早急に対策をとるべき」 ----- 今年夏に出版された「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」でいわれていた北京に日本政府の中国研究所を作るべきだという意見に非常に共感しました。日中友好と言いながら、実際には日本のことを本当に知らせようとしているのか、隣国のことを本当に知ろうとしているのか?その努力が足りていない気がしていたのと、国としてこういった海外戦略がちゃんと行われていないことが気になっていました。
竹内実さんという90歳ぐらいで最近亡くなられた研究者がいて、その方が北京にいる時に、「学術的なことで長期的に滞在している人があまりいないこでノウハウがちっとも継承されていかない」という問題を指摘されていました。私ももう10年ぐらい北京にいるので、この問題が非常によくわかります。この問題に関していえば実際にその通りなのですね。人が来て、帰って、また初めから行うということの繰り返しで、日中学術交流の制度的な次元において 全体的には何も前進していないようにおもえます。
なぜこのようになってしまっているのかと言うと、やはり短期的にしか物を見ておらず、ビジョンがないからだとおもいます。学術というのは長期的な視点に立って考えることを必要とします。目先のことしか考えなかったら、まず学術は育っていかないでしょう。もっと長いスパンで考えないといけないですし、長期的な長いスパンで考えるということは、単にかけ声だけでは駄目で、制度的な裏付けをちゃんと整えないといけません。単に留学生の「自己責任」の問題にすべきではありません。ノウハウもきっちりと継承すべきです。
もし日本政府の研究所があれば、長期的に研究している人が滞在できたり、あるいは長期的に滞在している人とコンタクトが取れやすくなったりと、かなり有機的な動きができるはずです。中国では、例えば日本の大学の事務所とかもありますが、基本的にそういうところは中国人の学生を如何に日本に呼び込むかということをメインで考えているので、中国に来ている各大学出身者の日本人研究生とは基本的に学術的な接点がありません。だから、学術的なつながりというのは日本人がこっちに来てもなかなか持てないのが現状です。
日本学術振興会という日本の学術を振興する会もあるのですが、こちらも中国に研究留学している人たちのことには残念ながらほとんど関心を持っていないように思えます。中国人の研究者をどう日本に呼び込むかが主要な関心事であり、中国に来ている日本人の若手研究者を育てようという姿勢が残念ながらほとんど見られません。
----- 国外に出る研究者たちに関心を持たないのはなぜでしょうか? なぜなんですかね。結局は、長期的に見ると日本にとってそれがマイナスになるはずですし、例えば中国語で発信する日本人の若手研究者がもっと増えてこないといけないとおもいますが、正直今後日本はどうなるのかなという危機感を抱いています。少なくとも英語圏と中国語圏の学問動向がわかって英語や中国語で発信できる日本人というのが、どれほど日本にとって貴重になるかということを考えるべきではないでしょうか。
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