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北京週報>>中国と日本  
「戦争の記憶」と真摯に向き合う研究者 山口直樹さん

 

読売新聞総局長、加藤隆則氏を招いて

 こういう経緯で、3.11の東北大震災が、発生した直後に北京まで宝田さんがお電話をくださったりというような交流が始まりました。こういった妙な関連から満鉄とゴジラの研究が同時進行的に進んで行くことになりました。怪獣映画の巨匠である、「ゴジラ」(1954)を撮った本多猪四郎監督は、中国に兵隊として動員されています。また、「ゴジラ」(1954)のスタッフも中国経験や戦争を経験している人たちがかなり多いです。それもあって、最初の「ゴジラ」は怪獣映画といいながら実質的には戦争映画になっています。

 また、ゴジラ原作の香山滋氏は、G検討用台本において平田昭彦氏演じる片目を怪我した芹澤博士を元北京大学教授という設定にしていました。このことも中国との関連ということでは、忘れられるべきではないでしょう。
さらに、中国文学者の武田泰淳氏は、「ゴジラが来る夜」という作品を書いていますし、終戦を上海で迎え「上海にて」を書いた堀田善衛氏は、「モスラ」(1961)の原作を書いていました。日本の怪獣文学の創造者たちもまた、中国と深いかかわりを持っていた人たちなのですね。

 ところが、皮肉なことに実は、現代の中国人は第五福竜丸やゴジラのことをほとんど知りません。私が中国の若者にゴジラについて話をすると「アメリカのものじゃないんですか」とか「名探偵コナン」でちょっと見たことがあります」といった反応をしてきます。現代の中国の若者のゴジラ認識というのはそういうものなんですね。個人的にも特撮映画や怪獣映画は日本が世界に誇るべき文化だと思っています。米国や欧州、台湾、韓国の人もゴジラのことを良く知っています。東アジアの中では中国だけがゴジラやモスラについてよく知らないという状況にあるので、ぜひ「ゴジラ行脚」を続けて、中国人にもっと第五福竜丸やゴジラのことを知ってもらいたいと思っています。これは第五福竜丸の被爆者の大石又七さんと約束していることですが、 大石さんの著書「ビキニ事件の真実」の中国語版を私の序文つきで出すことを考えています。すでにハワイ大学出版会からこの本の英語版がでているわけですから、中国語版での出版を実現させ、広く中国民衆にビキニ事件のことを知ってもらうことは非常に重要ではないかと思っています。

 ----- 現在、20代、30代の中国人は「聖闘士星矢」を良く見てますよね。
 「聖闘士星矢」の声を務めた古谷徹さんは「機動戦士ガンダム」のアムロの声を務めた人ですが、以前北京大学に来て歌をうたったことがあります。その時、何を歌ったかというと、「聖闘士星矢」でした。もう、みんな大喜びでした。

 このほか、ガンダムも相当人気があり、中国では特別な位置にあります。富野さんというガンダムの監督が北京大学に来たことがあるんですが、その時も盛り上がりがすごかったですね。

 また、中国で1980年の改革開放後、初めて放映された外国のアニメが「鉄腕アトム」だったんです。だから中国人はみんな知っていて、大使公邸でアニメのイベントを行った際に流された映像は「鉄腕アトム」でした。 アトムの声をつとめた声優、清水マリさんも大使公邸に招かれて挨拶をしていました。

 ----- 中国人の方とはアニメの部分で共有できるのは大きいですね。
 「ゴジラ」の延長で、第64回の日中サイエンスカフェでTV実写版「妖怪人間ベム」を扱ったことがあります。参加者は多いとはいえませんでしたが、泣いてしまう人もかなりいました。第100回学術交流会記念メッセージ集に「泣けて泣けてしょうがなかった」とメッセージくれた方がいましたが、まあちょっと特異な回でしたね。参加者の心に響くものがあったのでしょう。華僑の人も参加していましたが、「私は日本人でもなければ、中国人でもない。どっちの側の人間でもないというのは、人間でもなく、妖怪でもない、妖怪人間と重なる」という感想を書いてくれました。アニメの背景を知らなくても、本質をよく捉えていると思いました。ちなみにアニメ版の「妖怪人間ベム」で少年ベロの声を担当していたのは、アトムの声をやっていた清水マリさんです。中国での知名度はやはりアトムのほうが圧倒的ですが、テレビの実写版「妖怪人間べム」は、ジャニーズの亀梨くんがべムをやっているということもあって、中国の若者にも一定の認知度があります。

 ----- 山口さんは、どこか排斥される側というか、マイノリティに属する人たちにひかれる部分があるのでしょうか?それは、共感というよりは、関心のようにも感じますが。
 そうですね。わりと排斥される側の人たちへの関心はあります。「妖怪人間ベム」というのは子供心にもひっかかる部分があるアニメでした。見かけは妖怪のように醜いが、実は正義の心を持ちあわせているという秀逸な設定がいいとおもいます。日本のドラマは、正義を冷笑するかんじのものが受けがいいためか、そういうものが多いんですが、「妖怪人間べム」には、そういうものがないですね。

 実は、実写版「妖怪人間ベム」を取り上げた理由は、世界で高まる民族排外主義の動きにどう抵抗していけばいいかというようなことをこの作品を通して考えたかったということがあります。「排除なき共同体」はいかにして可能か」という日本の社会哲学者、今村仁司さんが、考えようとしていたテーマですね。そうしたことを考えることが、妖怪人間たちがいう「はやく人間になりたい」という声に応答することなのだと、そういうことです。

 ウルトラマンでも、単に勧善懲悪で、善のウルトラマンが悪の怪獣を倒すという話ばかりではなくて、ある回の中にはどっちが善でどっちが悪かわからないようなものもあります。そういう作品というのは、心のどこかでひっかかっていて、大人になっても忘れていません。 

 子供の頃から、そういうものに関心を持つ傾向はありました。善か悪かわからない、あるいは反転するようなものにリアルさを感じるというか、ひっかかりを感じる部分があります。ウルトラマンの中には、ウルトラマンが怪獣を倒しているけど、本当はウルトラマンのほうが悪なんじゃないかと思わせる物語もあります。ウルトラマンとかウルトラマンセブンでこういう作品を書いているのは、実は脚本家が、沖縄出身の人だということがあります。沖縄は、ちょっと特殊な位置にありますよね。正直言って、日本であって、日本でない。そういうところの人が実はメッセージを込めていたわけですね。でもそれは大人になって知る訳ですけど。

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