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北京週報>>中国と日本  
「戦争の記憶」と真摯に向き合う研究者 山口直樹さん

 

北京ゴジラ行脚で中央財経大学の学生に授業をしたあとに

 日中サイエンスカフェを開催した後に、歴史問題の映像を見て討論する日中歴史カフェを行い、その後に、日中経済カフェと日中文化交流カフェという順番で出来ていきました。文化交流カフェの第1回目はハローキティ、第2回はメイド喫茶、第3回はパンダを扱いました。アカデミックなものではなく、一般的な通俗的なテーマで行ったんですが、その背景には何があるのかというのをかなりアカデミックにやるので、わりと参加した人には好評です。このやり方は一般の人との対話を行うにはわりといいかなという感触はあります。

 通常の学術交流会とこういったカフェの差別化としては、ある程度メリハリをつけて、非常にアカデミックに行うものと、一方では敷居を低くして映像を使った企画を行うことで、異なる年齢層や背景を持つ幅広い方に参加してもらえればと思っています。20代ぐらいの人で、研究とは何かというのをまだあまりわかっていない人に向けて、研究に興味を持つ入り口ぐらいの話は出来たらいいなという日頃の思いがカフェという形として実現したというところもあります。

 ただ、清華大学や北京大学、人民大学などのメーリングリストで学術交流会の告知もしてもらっているんですが、現状ではあまりいい反応とは言えないです。正直、もう少し来てくれると思っていたのですが。大使館の方など政府関係者が講演をする際には、すごく人が集まるのですが、こういったサイエンスカフェなどにももう少し参加してくれると嬉しいですね。

  ■腫れ物を扱うかのように、「戦争の記憶」と向き合うことを避けようとする日本人
 ----- こうしてみると、北京日本人学術交流会は純粋な学術交流会ではありますが、北京の地において非常に重要な日中友好の役割を果たされているように見えます。


 私の専門の研究分野は満州中央試験所についてなのですが、この満州中央試験所の最後の所長を務めた丸澤常哉氏は、関東軍から軍事的な研究を行えと満州中央試験所に委託研究してきたものをはねのけたり、科学者として関東軍と色々とぶつかりあった人です。また敗戦直後、他の研究所では研究内容をまっさきに破棄したりしてますが、丸澤氏は研究内容を破棄したりせず、すべてを中国に渡し、まっさきに逃げた関東軍とは対照的に、中国に10年間残って指導・研究を続けました。丸澤氏は「政治経済に無知だったために侵略の手先にされてしまった」という言葉を述べた科学者でもありますが、私の知る限り日本の植民地にいた科学者でそのようなことをいったのは、丸澤氏だけです。

 私は、この丸澤氏の行動に感銘を受けて満州中央試験所のことを調べに中国に来たといっていいところがあります。そういった経緯もあり、私は丸澤氏が行ってきた日中友好の流れに属している人間だと自分では思っていますし、日中友好ということを意識している部分もあります。
ただ、日中友好ということばが、いま非常に手垢のついたリアリティのない言葉になっているのは、気になります。

 たとえば、最近、日中友好という言葉に対して違和感を覚える使われ方をされたりすることが何度かありました。ある日本人の会で、戦争について討論する回の告知を流してもらおうとした際に、会のメンバーから異論が出たので流せませんと断られたことがありました。理由はと聞くと、戦争のことに触れると、日中友好に差し障りがあるからだと言われました。

 戦争の問題を考えることと、日中友好の活動とは矛盾するものなのでしょうか?私は別に矛盾するとは思いません。これまで日本の知識人と中国の知識人との間で戦争をめぐる討論というのは、何度もなされてきたことでで別に目新しいことではないです。逆に、私は戦争のことについて考えることがむしろ日中友好というか中身のある日中相互理解の活動につながっていくと認識していたので、そういうことを言う人がいるということが驚きでした。

 加藤聖文氏が「満鉄全史」(講談社2006)のなかで
 「戦後60年を経て研究者と体験者の満州や満鉄に対するとらえかたは、異なるものの、現代的問題関心としてではなく、すでに過去の存在としてのみ認識されていることは変わらない。それとは別に、中国の改革開放政策以降、多くのビジネスマンが、中国とかかわるようになり、今や中国ビジネスは「流行」といえるほどだ。しかし、厳しい見方をすれば彼らの多くはこうした歴史に対する無知と政治に対する無自覚のまま中国との経済活動に没頭し、中国人と「交流」していると錯覚しているのが現実だ。 戦後60年を、経た日本社会は、こうして決して交わることのない「人種」たちが隣国中国と思い思いに付き合って表面上は「交流」がかつてないほど盛んに行われているが、いずれも本当の中国をみているようで実はなにも見えていないことは共通している」(204頁) と述べています。

 北京で満鉄のことを研究しながら中国ビジネスに従事する日本人ビジネスマンをみてきている私には、わかりすぎるぐらいわかる言葉です。「過去のことは忘れて仲良くビジネスしましょう」というわけですが、それでは本当の中国は見えてこないし、それだけでは、すまされなないことが必ずあるわけです。それをどれだけ真剣に考えているかだと思います。「未来志向」という言葉がありますが、これは過去を忘却するということではないでしょう。「われわれは後ずさりしながら未来に入っていく」といったヴァレリーや「過去としての未来」といったベンヤミンの逆説的な言葉を想起する必要があります。

 スローガンとして日中友好という言葉を唱え、表面的なところで乾杯しながら、実際は誰もお互いのことをよくわかっていなかったということが、釣魚島(日本名・尖閣諸島)を通じてわかってきたんではないでしょうか。日中友好の言葉をそういう思考停止のための言葉にしないようにするにはどうすればいいのか新たな生命力を吹き込むにはどうすればいいのかということを考えなくてはならないでしょうね。それが嫌中時代における北京日本人学術交流会の役割かなとも思っています。

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