英紙フィナンシャル・タイムズの論評に耳を傾けてみたらどうか。「隣国を怒らせる安倍政権の挑発的言動と侵略の歴史を歪曲する態度は、アジア太平洋地域の平和と安全を脅かす」。
日本の有識者もこの脅威を目の当たりにしている。東京大学の高橋哲哉教授は「歴史に対する評価が必要に基づき随時変化する」安倍氏の歴史観は国防軍創設、海外での軍事行動展開などの計画と相まって、「隣国が非常に危険な動向と捉えるのは明らか」と指摘した。
講演で安倍氏は日本の防衛費が中国の軍事費の半分に過ぎないこと、防衛費の伸び率が中国よりも低いことを挙げて「中国の脅威」を誇張しようと企てた。なんたるでたらめなロジックだ!もし軍事費の多寡のみを根拠に世界に対する脅威の程度を断定するのなら、筆頭は米国を置いて他にないではないか?
中国は平和的発展路線を堅持し、防御的国防政策を遂行しており、戦略の意図は透明だ。中国による正常かつ正当な国防能力の発展は、いかなる国に対しても脅威とならず、四の五の言う権利は日本にない。
「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞそうお呼びいただきたい」は、安倍の講演中の憤懣やるかたない反語だ。問題は、「右翼の軍国主義者」が自分にとって敏感な言葉であることを安倍氏が全く自覚していないことが、この反語によってはっきりと示されたことだ。彼からすると、侵略定義未定論をぶち上げ、「村山談話」見直しを言い放ち、靖国神社の亡霊を間接的に参拝し、慰安婦問題が国家犯罪であることを認めないのは、正当至極な行動であり、「ポリティカル・コレクトネス」に背くやましさや恥ずかしさはみじんも感じていないのだ。
安倍氏の横暴と恐れ知らずには「成長」過程があることに注目する必要がある。この成長には、誤った方向に沿って滑り落ちる加速度作用があり、日本社会の右傾化の激化という環境によって引き立てられており、外的圧力がまだそれを直ちに抑えられていないこととも関係がある。
言葉は心の表れ、理念は行動の指針。いつの日か条件が熟しても、または頭に血が上りすぎても、今日の勝手な妄言が現実の冒険に変わることはないと誰が保証できよう?
安倍式「どうぞそうお呼びいただきたい」は、改めて警鐘を鳴らしている!(編集NA)
「人民網日本語版」2013年9月27日 |